過ぎ越 神の言葉を生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の訓練の時は、その時その時、神の暦通りに、

ピッタリ合っています。

自分のプランや暦とは、違います。

 

神の訓練は神の暦の中で、プランされているのです。

だから、神の暦、神の定めの時の中で生きる事が

人間の本来のデザインだと気がつけば

神の時に沿って、必要な事を教えられる事が見えて来ます。

 

日没にリラックス、休む、夜寝て、朝目覚める。

これを不自然〜と思う人は誰も居ないと思います。

それと同じです。

神の暦は神が人間のために造られたと書いてあります。

6日目の日没に、止まる=シャバット。

これが、人の生きるデザインと書かれています。

聖別せよ。ガードせよと神が言われるからです。

 

神の定めの祭りの日に、神が言われた通りを、再現し

祝福し、祝い、喜び生きる。この日=神が造られた日

だから、楽しみ喜ぼうとある通り。

 

私達は、神の王国を神の言われる通りの

ホキムとミシュパテイムで治めるのです。

自己流、自作自演で造り出したものでは、

神の王国は治める事が出来ないからです。

神が言われた通りが大原則。

 

神の定めの時=季節=モアデイムを司るために

光=太陽、月、星を造られたとあります。

それらは、”光”ルミナンス 只の光です。

この地とそれらの光は同等ではないのです。

 

私達の住む家=ハ マコムのために、

神の時を司るために、それらの光が造られたのです。

 

神の仰せは全部、私達の命を守るため、生きる事が

出来るため。

奥が永遠に深いですが、シンプル!全部分からなくても

神の言う通りに信じて、生きる事をすれば、良いのですね。

 

細かい事は色々その時分からなくても、

神の言葉をそのまま生きれば、水がワインに変わるから。

水=生ける水を飲む人、ワイン=喜び、祝福を体験すると

ある通り。

 

怒り狂うのを待っている仁王様が、私達の前に立ちはだかり、

出来るか出来ないのか見張っている、そんな異教の神々の

教えに染められた頭脳で考えたら分からなくなって

しまいますが、

聖書に戻り、神の声、優しく、慈愛、忍耐に満ちた声を

聞き出せば良いのです。

ごちゃごちゃ聞こえる声の中、本物の羊飼の細い声を

聞き出す。それは神の言葉の中から聞き出す事。

 

箴言30:4 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、

風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に

包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、

その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かに

それを知っている。

 

30:5 神の言葉はみな真実である、

神は彼に寄り頼む者の盾である。

 

30:6 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、

あなたを偽り者とされないためだ。