神の訓練の時は、その時その時、神の暦通りに、
ピッタリ合っています。
自分のプランや暦とは、違います。
神の訓練は神の暦の中で、プランされているのです。
だから、神の暦、神の定めの時の中で生きる事が
人間の本来のデザインだと気がつけば
神の時に沿って、必要な事を教えられる事が見えて来ます。
日没にリラックス、休む、夜寝て、朝目覚める。
これを不自然〜と思う人は誰も居ないと思います。
それと同じです。
神の暦は神が人間のために造られたと書いてあります。
6日目の日没に、止まる=シャバット。
これが、人の生きるデザインと書かれています。
聖別せよ。ガードせよと神が言われるからです。
神の定めの祭りの日に、神が言われた通りを、再現し
祝福し、祝い、喜び生きる。この日=神が造られた日
だから、楽しみ喜ぼうとある通り。
私達は、神の王国を神の言われる通りの
ホキムとミシュパテイムで治めるのです。
自己流、自作自演で造り出したものでは、
神の王国は治める事が出来ないからです。
神が言われた通りが大原則。
神の定めの時=季節=モアデイムを司るために
光=太陽、月、星を造られたとあります。
それらは、”光”ルミナンス 只の光です。
この地とそれらの光は同等ではないのです。
私達の住む家=ハ マコムのために、
神の時を司るために、それらの光が造られたのです。
神の仰せは全部、私達の命を守るため、生きる事が
出来るため。
奥が永遠に深いですが、シンプル!全部分からなくても
神の言う通りに信じて、生きる事をすれば、良いのですね。
細かい事は色々その時分からなくても、
神の言葉をそのまま生きれば、水がワインに変わるから。
水=生ける水を飲む人、ワイン=喜び、祝福を体験すると
ある通り。
怒り狂うのを待っている仁王様が、私達の前に立ちはだかり、
出来るか出来ないのか見張っている、そんな異教の神々の
教えに染められた頭脳で考えたら分からなくなって
しまいますが、
聖書に戻り、神の声、優しく、慈愛、忍耐に満ちた声を
聞き出せば良いのです。
ごちゃごちゃ聞こえる声の中、本物の羊飼の細い声を
聞き出す。それは神の言葉の中から聞き出す事。
箴言30:4 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、
風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に
包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、
その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かに
それを知っている。
30:5 神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。
30:6 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、
あなたを偽り者とされないためだ。