主の仰せは全て 私達の生きるため 家族のためのシャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

日本でぎりぎり桜満開を見る事が出来ました。
短い期間で、色々な用事をして、遠方の友人宅にも行き
家族とも過ごした一週間でした。

夕べは、日本の家族とシャバット。
シャバットの意味を説明しながら、歌ったりキャンドルを
ともしたり。楽しい中、聖書のイスラエルの神の話で
盛り上がりました。

シャバットの最大の目的は、
命は、主に支えられている事、忘れないためなのです。
自分と家族と仲間が主の前で修復し、愛し愛されている
受け入れらて居る事を確かめる事 そして命を祝う日です。
生かされている事、喜び楽しみ祝う日。

イスラエルの神はだれか、私達はどこから来たのか?
永遠の中に主の中に全ては造られていた事がヘブライ語
聖書の中に書かれている、この感動の事実を一緒に
思い出すひと時でした。

100%一方的に主が与えて下さった命、そして完了の業。
この世の旅路を生きる全ての上に、主の保護と導きがある。
主の中にいて、主の意図通りに生ける水の中に浸って
流されて行くだけ。明日は分からないけど、だから主に信頼
出来るのです。

世の中の問題の根本は、本当はシンプル。
自分が誰だか分からない。だから探し続ける。
人と比べ続ける、競争続ける。
聖別されたと言う本当の言葉の意味は、”神の意図通りに
神の上に分たれた”と言う意味。

だから、それぞれ神の造られた意図が違う。
わたしは別の人には成れないし、別の人はわたしには
なれない。
それぞれが、それぞれのユニークさに造られている。

それが分からないから、競争させられる。
全ては、この世=エジプトの基準で生きる事を学んだ結果。

そして、自分が分からなければ本当の意味で自分を愛せない。
本当の自分が分からなければ本当の相手の姿も見えない、
分からない、理解出来ない。

そして、イスラエルの神が誰だか分からない。
神ともベールがかかり本当の関係を結べない。
人は、喜び=エデン=神御自身だけを体験する様に
造られているのです。

神御自身=エデンを体験する。。。すごい事なのです。

全ては創世記の最初の3章に凝縮されて書かれています。

何が大事なのか? 無くてはならないものは何なのか?
それがはっきり分かれば、全ては収まるべき所におさまる。
”神の国と神の義を第一に求めなさい”とあるその状態ですね。

神の国=天の実態、神の義=神の似姿の人である事を
まず知る。それなんだと分かります。

そして大事にしたい。自分と、家族と隣人と そして主との
関係!耕すとは、この関係を耕す。主に造られた人の生きる
姿、実態を耕す!
本当の自分を生きる事を耕す。
これが詩編1の喜び溢れる秘訣だとはっきり書かれています。

主の意図通りに生きる時、命が溢れ出る。
寒い冬を越しても、命は眠っているだけ。
その人の中に、主の生ける水 神の命=言葉がそのまま
流れ込めば人は生きる事が出来る。
人は神の口から出る ひとつひとつの言葉により生きると
書いてある通り。

そして主を内側に持つ人=生ける水をたたえて運ぶ役割の
人は、渇いた荒野=命が眠っているその地に生ける水を
運び命が芽生えて来るのを助ける人達。
世界は生ける水をどうやって どこで求めて良いか
分からず渇いている。地の塩、世の光 契約の愛=アハバ
を保存する人達が世界に置かれている。

Shabbat Shalom


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