昔昔、私が小学生の頃、形成手術をしたいと思っていました

 

今で言うところの整形手術

 

私の首には生まれつきの大きなアザがあります

それを毎回の様に指摘されるのが嫌だった

 

からかわれたり、いじめられたという事ではなく、子供心に何でそんなところにアザがあるんだろうという単純な疑問だったのだと思いますが、それが嫌で嫌で仕方無かった

 

それで親に相談しました

「ここのアザを取りたい」

 

最初のうちは親ものらりくらり大きくなったらねと言って宥めていましただ、私があまりにも言うので、形成外科を受診させてくれました

 

そこで医師に言われた言葉は

「まだ成長期に入っていないし、これから皮も伸びてくる

メスを入れると、そこの皮が伸びずに引っ張られて、上を見ることが出来なくなる

どうしても手術をしたいならするけど、するなら成長期が終わった15歳以降がいいと思うんだ

今日は一度持ち帰って、どうしても、取りたいならまた来て」

 

その帰り、母親から言われました

「取りたいなら取ってもいいけど、先生が言うように大きくなってから方がいいんじゃない」

 

私は少しだけ悩んで

「とりあえず、今は手術しなくてもいいや

大きくなってから、その時考える」と結論付けて、そのまま大人になりました

 

また、中学生の頃には鼻の形が嫌で仕方なかった

鼻は高いが形が悪い

スラッとした鼻に憧れていました

また、片一重も嫌でした

アイプチとかも考えていました

やってませんが

理由は簡単

道具を買う勇気が無いのと、買っても面倒でやらなくなりそう、目周辺は抵抗があったから

 

私の場合はいつでも整形が出来るという実感が、今じゃなくてもいいやという気持ちに切り替わった気がします

そして、高校、大学辺りからは整形に関しては考える暇も無くなったのは、皆に好かれたい、羨ましいく思われたいと言うより、好きな人一人に好かれたい、自分を理解して欲しいという欲が強くなったからだと思います

 

外見ではなく内面への執着が強くなったからだと思っています

 

こんな内面だから外見だけでも。と言うより

こんな内面だけれども、それを分かってくれる人に。

傷ついて、傷ついて、傷ついて

だからこそ、分かってあげられることもあるんだよ。と

 

(精神的な意味で)整形して変わる人もいれば、変わらない人もいる

考えた結果、私は後者であり、私の場合、整形は無意味かなと感じて、今に至る

 

今のように整形が当たり前で、お金があったらやっていたかもしれませんけどね

 

 

子供を尊重する親?