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靴はとても重要な役目を果たす

靴はとても重要な役目を果たす

スキーで今でも覚えているのが、5年生ぐらいの時に初めてノルディカのレーシングブーツをはいた時、上手くなったと実感できた。子供用のお遊びブーツからきちんとしたブーツに履き替えただけの事だけど。

次が12年ぐらい前、忘れもしないアトミックのRT CS 110を買った。白と青の綺麗なブーツで今まで買っていたコンフォート系のブーツとは違った感触だった。カービングターンというものを体感できたのはこのブーツとフリーライドXの組み合わせだった。

トレランでいえばニューバランスのMT110を最初に履いた時、これは驚いたのを覚えている。発売当時はベアフットランニングというものを懐疑的に見ていたので、僕が初めてはいたのは2016年頃だったはず、さんざん色々なシューズを履いてから懐古主義的に履いたシューズは驚く程の完成度だった。2013年頃にこんなシューズが発売されたのなら、多くの人が未だに引き付けられるのにも納得したのを覚えている。

そして僕はMT110は惚れ過ぎて合計4足ほど履いた。全てメッシュアッパーが切れてボロボロになってしまったけれど。2017年~2018年にはショートレースでも使った。ミッドソールが硬化していたりメッシュアッパーが脆くなっていたりしたけれど、十分に走れると実感した。このシューズの優れている点は、アッパーの適度な柔らかさとミッドソールとアウトソールのクッション性がシューズでプロテクトされたベアフットランニングにおいてミニマルなバランスで成立しているいる点だと思う。


MT10ではアッパーの強度に対してミッドソールが薄すぎてプロテクト感は薄い。実際下りで飛ばすとかなり痛い。これはファイブフィンガーズでも同じこと。ベアフットに近い感覚はこちらだが、シューズとして考えるともう少し守って欲しい。ワラーチも同じで更にベアフット近づくがっプロテクションは犠牲にしている。


ではホカオネオネ。アッパーは薄いもののしっかりした作り。ミッドソールは極厚でプロテクションはしっかりしているので細かい凹凸を気にせず足を出せるのはありがたいが、ベアフット感は薄い。



スポルティバなどはアッパーもミッドソールもアウトソールもしっかりしている。もはやベアフットランニングはコンセプトにない。

アルトラが一番近いコンセプトで販売されいる。個人的にはスペリオールやキングMTは近いものがあるとは思っている。ただ、これは個人差もあるのだけれど、2013年頃にMT110のレベルで完成度が高かったのかというとそれはない。当時のアルトラはアッパーが柔らかくアウトソールは意外と硬かった。

そんな風に見渡してみるとベアフットランニングに近い感覚を得ながら、トレイルランニングにおける足へのプロテクト性能が高い次元バランスよく作られていたのがMT110だと考えるに至った。もちろん何年も前に発売されたモデルなので今売られているシューズの方が良いに決まっているのだけれど、そういう靴が1足あると指標してはとても有効だと思う。



もともと靴が好きで、昔からスニーカーなどの収集癖があったので自然な流れなのだけれど、今も色々な靴を履くことに喜びを感じてしまう。靴に対してあーだのこーだと考えるのも好き。だからこそ気に入った靴は何足でも履きたくなるし、買った靴は可能な限り手元に残したい。最近はトレランをする機会が多いことも有り、ニューバランスのMT10やブルックスのカルデラは手元に複数足ある。イノベイトのX-TALON190も2足あるな。

そして振り返ってみると、我が家のシューズラックにはスキーブーツ、レッドウイング、ダナー、ソレル、MTBシューズ、沢靴、アルトラ、ニューバランス、イノベイト、ブルックス、ホカオネオネ、メレル、ナイキ、アディダス、アシックス、LAギア、ミハラヤスヒロ、グレンソン、トレイルデザイン、クライミングシューズ、ケイランド、スポルティバ、足袋、ワラーチ、ビジネスシューズ、リーボック・・・・ざっと数えただけでも50足以上ある。全く履かれない靴たちはかわいそうなのでそろそろ処分も考えなくては。



カッコよく滑りたいと思い続けるウインターシーズン

僕はどうしてもカッコよく滑りたくて、ゲレンデでもバックカントリーでも真面目に滑ろうとしてしまう。すべての所作はカッコよくありたいと思ってしまう。『楽しさ』はそれだけでは手に入らないとわかっていても、気づくとまたそうやって滑っている。

 

対して従弟の滑りは決して上手くないしカッコよくはない。でも毎回楽しそうに滑っている。そうじゃないのかもしれないけど、僕にはそういう風に見えてしまう。だからなのか結果的にはカッコよく見えてしまう。

 

この年になると、趣味なんて自分の好きなように楽しめたもの勝ちだと、体感し理解しているから、それが自然に出来ている人はカッコいい。

 

一見すると僕の方がカッコいいと思う。

一回一緒に滑ると従弟の方が楽しんでいると理解する。

一日一緒に居れば従弟の方がカッコ良いと思うようになる。

 

と、僕は思っている。

 

なぜか、従弟にはスタイルがあるのだ。『楽しさを迸らせる』という。

 

エクストリーム系のスポーツではしばしば『スタイル』という言葉が使われる。しかしスタイルというのは型や形式のことではない。

 

同世代の方にはわかって貰えると思うけど、ゼロスピンに関しては今でもエリック・ポラードが圧倒的にカッコよく。ソチオリンピックでは間違いなくヘンリック・ハーロウがカッコよかった。(あれで6位なんてオリンピックのジャッジには納得できない。)

 

もちろん彼らはプロだからスタイルも特出している。それは十分理解している。

 

でも僕だって齢37歳にしてスキー歴30年以上のオヤジなのだ、僕にも僅かながらのスタイルは備わっているはずと信じたい。

 

多くの人を魅了する事は出来なくても身近な人に「カッコいいかも」ぐらいは思わせたい。この歳になって改めてそんな事を思った。

 

 

8歳の息子と5歳の娘は僕の事をカッコ良いと言ってくれます。自分の子供なのだからまだ当たり前です。ではいつまでカッコ良い父親でいられるのか?いつ、自分の子供にすらカッコよさを伝えられなくなるのか。

 

ダサい大人にはなりたくないのです。それは恐怖に近い感覚かもしれません。

 

 

 

 

ブログのスタイルに迷いキーを打つ手が止まるとき


ブログを始めた理由を思い出す。あれこそ「ドハマりした」というに相応しいフリースキーの情報源にしていたブログが閉鎖した時。なら次は僕じゃないの?と安易に考えて始めたのがきっかけ。

だから、当初はスキーネタばかり書いていたし、ネット上で拾えるなるべく新鮮なスキーネタを取り上げていました。

ブログのタイトルであるpeeperは『のぞき見する人』という意味でなのです。

しかし時代が変わり、SNSで新たな情報共有が始まると、ネットで拾う情報をブログで紹介するスタイルは急速に鮮度を失い始めます。

そして、それに対応するために自分で購入した道具紹介がメインになり、スキーと登山道具の比率がどんどん変わり、それでもSNSの新鮮さには敵わず、自分自身でも僕のブログの存在意義が見いだせなくなった時、更新作業は苦痛になり、最終的には放置してしまいました。

僕はもうpeeperではなくなってしまったようでした。



そんな時間に出会ったのが2冊の本。『記憶の地図』(著作:ジェリー鵜飼)と『多摩の五十座』(編集:たをり※同人誌)

 



どちらも普通の意味での普通の本ではないけれど、どちらも良くまとまった小説というか随筆で、そこにあるのは個人の考えを反映したシンプルな主観的文章だったのです。

新しい情報を紹介するでもなく、道具のインプレッションをするでもない。純粋なまでの主観的文章。悪く聞こえるかもしれませんが、作文はあくまでも作文という範囲で書かれたもので、それらを少しばかり上等にすれば『記憶の地図』や『多摩の五十座』はできあがるのだと知ることができました。

しかも、読み終わった後には何か微かなもの(それは埃がたつ程度のことかも知れないけれど)を感じることができたのです。読んだ人に何らかの作用をするものを作り出せるかもしれない。そういう可能性があるのなら僕もそういったスタイルでブログを続けてみよう。そう思い、久しぶりにキーを打つ手が動き続けているのです。



長いことブログなんて続けていると、そこへ自分の思いを表現することで、なにかは分からないけど自分の中にあるものを再確認する作業が習慣化してしまい。短い文章では言い表せないブログならではの文章というものに魅力も感じてくるものです。

たぶん、それは書いている自分自身を何か納得させるような行為になってしまっているので、その魅力は中毒性が必然的に高くなってしまいます。



という事で、スタイルがずいぶんと変わってしまうのですが、それでもスキーがメインのアウトドア一般に関する事をメインにこれからも書き続けていこうと思いますので、今後ともお付き合い頂ければ幸いです。