1.端午の節句

今日は5月5日、端午の節句です。もともとは太陰暦の節句だったものが新暦の太陽暦に引っ越したものです。

この日は、菖蒲を家の軒に挿したり、枕に詰めたりして邪気を払ったりしました。そういう行事はいまは行われなくなっているのではないでしょうか。私の実家では、私が小さいころでもやっているのを見たことがありません。端午の節句の定番の食べ物である粽(ちまき)や柏餅も作ったことがないと思います。少なくとも、私は端午の節句に、実家で粽や柏餅を食べた記憶がありません。私の実家は農家だったので、この時期は農作業でバタバタしていたかもしれません。

 

 

2.鯉のぼり

江戸時代からすでに端午の節句は男の子のための節句と考えられるようになっていて、鯉のぼりを掲げたり、武者人形を飾ったりしていたようです。

 

わが家の場合、私が長男だったので、とても立派な鯉のぼりとのぼり旗が掲げられたようです。もちろん私は記憶がないのですが、写真が残っています。のぼりの前で祖父や伯父たちの膝に抱かれて撮った私の写真が残っています。私は6月の生まれですので、生後11か月ほどの、自分が見ても可愛らしい表情をした写真です。

 

その鯉のぼりとのぼり旗は、私が小学校に通うようになっても物置の隅にありましたが、恐らく一度掲げただけで、あとは揚げなかったのではないでしょうか。私が小学生の時に、鯉のぼりを揚げてと親にせがんだことがありますが、実現しませんでした。その理由は、竿を支える土台をつくるのが、難しいからということでした。

 

なにせ、私が記憶している限りでは、そののぼりは、現在の軽い化繊のものと違って、もめん製のものでした。母によると、それは非常に重く、少し強い風が吹けば、土台がぐらつくし、雨などが降ろうものなら、重たく垂れ下がって、とても厄介な代物だったということです。

 

 

3.神社の祭礼

この日は近くの神社の祭礼が行われ、たくさんの出店が並びました。その出店を見て回るのが楽しみで、兄弟や近所の子供たちと連れ立って、遊びに出かけました。うきうきした気分で、わずかなお小遣いをポケットに入れて出かけました。相当に大きな祭礼で、広場では奉納相撲大会なども行われていました。その祭礼の出店もだんだん小規模になっていったようですが、いまはどうなっているのでしょうか。中学生にもなるともう行かなくなったので、その後の経緯は不明です。

 

それにしても、こうしてその頃を振り返っていると、じつに懐かしい気持ちが湧いてきます。その時の気分が心に蘇る感じです。年に一回の神社の祭礼に地域の人々がわいわいと集い、賑わいを楽しんだのでした。