今日もネタが無いの4古いアルバムからです(;^ω^)。

 

1969年冬、能登へ行く2週間前です。

 

朝5時に家補を出て青梅線で7時15分に『軍畑:いくさばた』に着いて輪行して走り出しました。

 


この時代、町中を抜ければどこもかしこもダートの時代です。

 

青梅街道から五日市氏へ抜ける梅ケ谷峠です。

今ではトンネルも計画されて居るらしいです。

 

今ではグーグルマップでも地名が出てく呉れない『盆堀』と言う処に有った庚申塔です。

自転車は当然能登へ行った時と同じケンコー・ロードフレームの無理やりランドナーです。

 

市道山の『入山峠』は未だ工事中で、未完成でした。

やっと道路らしいものが出来たばかりで酷い路面です。

 

この頃って橋の上だけはコンクリートで舗装ですから一瞬の嬉しさを感じていましたネェ(;^ω^)。

 

結局入山峠は未開通の為に登山道を押し上げ、担ぎ上げ、担ぎ下ろして・・・

 

途中で休憩中です(^^)/。

 

しかし、マダマダこの先も押して歩くのがやっとの山道でした。

 

これもグーグルマップにも出て呉れない高留と言う処を過ぎ上案下から『和田峠』を超えて

 

和田峠から藤野へ下り始めた処での写真ですが、写真の道路の右隅にサイクリストが3人?写って居る様な(^^)/。

メモにも高校生らしき連中が沢山居たと残って居ます。

 

藤野で肉まんあんまんと牛乳2本飲んだらしい(;^ω^)。

 

藤野から大垂水峠を越えて高尾から輪行して帰りました。

 

この日の走行距離は74kmと記録に残って居ますが、この頃は当然ロクなメーターって在りませんでしたから、使って居たのはスポークにピンをネジ留めして前輪の一回転ごとに星車を1/5回転させて距離を測る『ルーカス・サイクロメター』の距離計のみでした。

 

なので余りに高速で走ると星車が回り過ぎてピンが本来当たって欲しい谷では無く、山の部分に当たって『ガンガン』と異音を出して仕舞う困った物でした(;^ω^)。