世間からバッシングを浴びた責任者会見をもう一つ紹介する。
1990年3月18日昼過ぎに、尼崎のスーパー長崎屋4階寝具売り場から火の手が上がる。
この火災で、お客3名を含む15名が焼死するという惨事になる。
1990年(平成2年)3月18日12時30分頃に兵庫県尼崎市神田中通4丁目のスーパーマーケット「長崎屋尼崎店(Big-Off尼崎店)」火災発生。死者15人、負傷者6人に及ぶ被害を出したのだ。火災原因は当時から不明であった。警察の検証結果によれば、何者かが放火した疑いがあるとみられている。
本件火災は、消防表示制度「適マーク」の交付対象建物からの出火ということで、スプリンクラー設置基準および適マーク交付基準を見直すきっかけとなった。世間からバッシングを受ける原因となったのが、当事者の記者会見である。
法令違反はなかった、と彼らは強調したのである。報道陣は、このコメントを聞かされて一瞬のうちに態度を硬化させた。まるで、消防法を守っていたので我々には責任はない、とでも言いたげな責任回避とも思える記者会見であった。
いち早く会見に応じたのは間違いではなかった。むしろ評価される。だが、防火扉が完全に閉まらず全館への延焼を招いている。しかもその原因は、その防火扉の前に商品が積まれていたせいである。マスコミ各社は、倉庫代を節約するためだったのではないかと特集を組んで長崎屋を糾弾する。
その意味では、消防法は守られていなかったと云えた。ところが、長崎屋幹部は、消防法はきちんと守っていたといった釈明に終始する。責任者ばかりか幹部までも現場をチェックしていなかった事実が明るみになる。
これでは、スプリンクラー作動は意味をなさない。
また、避難経路上への段ボール類の積み置きは、非常事態発生時の障害となるため、尼崎市消防局が5度に渡って同店に指導を行っていた事が後に明らかとなっている。これらが守られていれば、たとえ放火であっても死者まで出さなかったと思われる。
