安室奈美恵の軌跡
彼女は、担任教師に明言する。中学校卒業前だった。
『高校卒、大学卒でも、社会に貢献できない人は大勢います
私は、大丈夫ですから』と。
うちには、そんな余裕はないの!と、母が云った。
『いいわよ、その代り、アクターズスクールへ入学するから』
彼女は、高校進学を諦める。そして、沖縄アクターズスクールだけに絞った。
また、バス代を節約するために、徒歩で往復した。
そして、彼女は毎日、歌やダンスに明け暮れるのだ。
デビューが決まって上京するとき、安室奈美恵は母と約束を交わした。
『お母さん、3年間待って頂戴。3年でダメだったら、沖縄に帰ってくるから』
その約束した3年が迫っていたころ、所属事務所の社長が新曲を用意してくれた。
「安室奈美恵」最初のブレイクであった。
彼女の2時間を超えるライブで、トークは意外と少ない。
「ありがとうございました」
「バイバイ」
「また遊びに来てね」
退場する寸前で口にする言葉だ。
決して、トークが嫌いなのではなかった。
「お客さんは、私の踊りをみるためや歌を聴くために来てくれている」
だから、彼女は、むしろトークは余計だと考えているのだ。
数年前、ライブを途中で中止したことがあった。
喉の調子が悪く、思うように声が出なかったのだ。
この異変には観客も気が付いていた。だから、「今日は中止させて下さい。改めてやり直します」
という突然の彼女のコメントにも観客のあたたかい拍手が鳴りやまなかったという。