契約の話を書こうと思います。

 

最近、身近でこのような問題がふりかかったことがありました。

 

契約に関して説明を受けて、いつの間にか違う契約も結ぶような感じに。

 

言葉の使い方で、その契約も受けるような話に持っていかれて気がついたらその契約に入ることになってしまった。

 

口の説明で値段を提示されたが、実際には他にも契約する必要があって料金がかさんでしまった。

 

営業側からするとそれで成果が上がれば会社側から有望だと認められるかもしれませんが、相手を信じてしまった側はお金の問題の他にも心に傷を受けます。

 

個人的に生活がプライベートなものより、資本主義的な生活が多くなってますが世間の人もこのような事を身近に感じるような状態になってきていると思います。

 

企業側も経営が厳しい現状もあるのかもしれません。

 

逆に契約だからといって、心情も考えず実行するのもおかしい話もあるのかもしれません。

 

ルールを作れば、そのルールを利用して悪さをする人もいるので私的にはこうだと今はいえません。

 

だまされたり、利用されている人が悪になる世の中は三日見ぬ間の桜かな

 

 

(「世の中は嫌です」と書こうとしたら文字変換で「世の中は三日見ぬ間の桜かな」とでたので使ってしまいました。真面目に書いてたけどやっぱりこうなった・・・。)

 

(意味は、世の中は、3日見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。)

 

 

 

世の中は三日見ぬ間の桜かな、少しこの意味を都合よく変えてしまいますが、この例えみたいにその場しのぎの話をする人が多くそれを忘れていくような世の中のような気がします。

 

後から、また咲くべくして咲きますからタチが悪いです。

 

個人的には、この言葉は今グッときます。

 

 

 

でも、「だまされたり、利用されている人が悪になる世の中は三日見ぬ間の桜かな。」の文章はやっぱりおかしいな。

 

文章も偶然だから仕方ないかもしれないけど、イマイチな気もします。

 

次の記事を書いたりしたらみんな忘れるからいっか。