過去を振り返って、思い出しながら書いています
軽度知的障害をもつ息子、
義務教育である小学校と中学校に進路のお話し。
え~っと・・
小学生の時に、診断を受け「普通学級」から「特別支援級」に在籍することを決めたのですが、それはまず医師&臨床心理士から勧められたから。
「早期に発見できたのだから、早い段階で対処できる。」
それでもまだ少しは友達との関わりができていたので、国語算数を個別に彼のペースで勉強する方法をとりたかった私たち(親)。
・・・となると。
在籍は支援級に置いて、臨機応変に様子をみて対応すると学校からは言われました。
「加配の先生をつけてなるべく普通級で授業を」という案もありましたが、それは息子本人が
「僕だけ?僕専用の先生がそばにいるの?みんなのそばには居ないのに?僕だけ特別?それは嫌だ」
・・と拒否したんですよね。
「特別扱い」を嫌う息子。
わからないことだらけで不安でも、プライドは高い。
知的障害があってもプライドがある。
「息子は○○が出来ない」という説明を、私が学校などでする場面では気をつかいましたね。
そばでやりとりを聞いていて
息子がとてもしょんぼりして、自分はみんなと同じではないんだと落ち込んだから。
でも。私まで一緒に落ち込まないぞ!っと。
ココは↑ポイント
「人には、みんな得意不得意があるよ。
学校では、あなたが苦手なことをすることが多いから、あなたに合わせた方法で過ごせるようにと、先生に相談しているの。
これはちっとも悪いことじゃないからね。
みんなだって、困ったときにはそうするよ。
そして、あなたが得意なことはおもいっきり頑張ればいいんだよ」
こんな言い方をよ~くしていたなぁと思います。
また、当時は、そのような勉強方法をとっている子どもはいなかったので、学校側も手探りでしたが誠意をもって接してもらえたと感謝しています。
そして。
息子もそのやり方に初めは戸惑いはあったものの、
本人もクラスメイトも徐々に慣れていき、
「次は算数だね。いってらっしゃーい」とクラスメイトに見送られたり、「おかえり~」と迎えてくれたり。
自信を失わずに済んだと思う。(そう思いたい)
普通級の担任の先生は若い男の先生で、気さくな兄貴的存在で、
息子を過剰に「お客様」扱いしなかったことも、とても良かった
それでも・・・
大人になった息子本人いわく。
「ん~・・5年生の時が一番キツかったな。いろいろ・・・。」
え?え?そうなの?いじめられてたの?
「いじめなのかなぁ・・。う・・ん。嫌な奴がいたし、ん~・・いろいろね」
と、話してくれた。
過去の話だし、さらに詳しく聞こうとした私。←今更ショック
でも、息子は答えなかった。
嫌な気持ちにはなった。悔しい思いもしたのは覚えている。
でも、具体的にはうまく説明できないという感じだった。
「・・・でも、仲のいい友達もいたから」
そう。
嫌なことやつらいこと、悔しいことはあったけど、
理解ある友達もいた。
そして、支援級にも親身に関わってくれる先生方が居る。
自分の居場所、逃げ場もあるんだと感じることができたから、
やり過ごせたのだと思う。
わぁお。「小学校編」でもうすでに長い
次につづく・・・