知的障害をもつ息子の背景から
←息子は社会人として、働いています。
障害者枠で採用していただき、支援学校卒業後から
同じ仕事を続けています。
職場は福祉事業所ではなく、いわゆる健常の方と一緒に仕事を
しています。
職場の皆さんは、息子と一緒に仕事をするにあたり、試行錯誤しながらも、彼のことを理解して下さって・・・。私は職場の様子は見ることはできませんが、細かな配慮をしてくださっているのだと思います。
心から感謝の毎日です
新人の頃は、お互いに探り合うような様子でした。
職場も息子にどのように対応すればよいのか?知的障害の人とどう
話せばよいのか?・・・
(母親である私も、どこまでフォローするべきか?)
息子も職場の空気を読んで距離を取ったり、もっと仲間に入りたかったり・・・
と、緊張がつづく毎日だったようです。
ひよっこさんだしね
そして。時が流れ・・お互いに慣れてきたのでしょう。
「ようやく僕は(仕事で)自分で動けるようになってきたよ。
上司に優しく
”○○しなくていいからね”とか”△△してくれれば、それでいいからね。”と、仕事にさわらせてもらえないことがなくなってきたんだ。
”どんどんやってちょうだい。ありがとね。助かったよ。”と言われる」
ドャ顔
そうだね。息子の頑張りで、仕事を頑張れていることも事実
でも。
良い職場に恵まれたなぁ。
息子のことを「知ろう」として下さって、信じて下さっているから・・
息子の存在を認めて下さっているから・・・
今があるんだなと思っています。
環境はとても大事ですね。
「障害者を○○%雇わなければいけなくて、仕方なく」というスタンスが丸見えな環境だと。
理解がなければ、大人のいじめにもあってしまいます。
もちろん。障害者側も
「障害者なんだから!優しくしてよ!」という思いでは理解はされない。
自分の特性や性格が活かせるように、整えていければベスト。
実務で出来ないことが多くても、出来ることを精一杯頑張っていれば・・
理解しようとして下さる人が増えていく・・・・はず。
私は希望を捨てない
あ、とてつもなく差別的な人に直接出会ったことがまだなくて、
理想を語っているかもしれませんが。
偏見が強いでもなく、ごくふつ~うの身近にいる知り合いが、
「ごめん。知的障害の人って・・私たちとは違う世界の人って思ってた。ごめんね。
知らなかった。
今までそういう人と関わったことがなかったから。
息子君に会えて良かったよ。」
と言ってくれたことがある。
とても嬉しかった。
その反面。
「知らない」「わからない」ということが偏見に繋がるのは、こういうことなんだなぁ・・とも思った。
息子も○○年、仕事を続けてきた。
そうした社会経験が信用を強くして、
「息子君なら大丈夫だね」と思ってもらえたのだろうな。
スキルも大事だけど、やはり人間性。
・・・・だと思いたいです