KONNO 4.0 BLOG

令和3年(2021年)、あけましておめでとうございます。

昨年は、新型コロナウイルス感染症による社会の混乱、大幅な需要減という厳しい経営環境の中ではありましたが、今野製作所は、少し先の未来を見据えた取り組みも前進させることができ、プラスマイナスを総じて、成果の手応えが勝った充実した一年になりました。

「ピンチをチャンスに」という言葉は、ありきたりすぎて、少々陳腐かも知れません。
しかし、危機の度に繰り返されてきたこの言葉には、やはり単なる精神論や気合いだけではない、何らかの真理が含まれていそうです。
経験則からも、ピンチのときの火事場の馬鹿力というようなことが、確かにあります。

制約やある種の不自由さに直面すると、私たちはそれを乗り越えようと、普段よりも考え、工夫をします。
うんうん唸りながら無い知恵を絞り、ひとりじゃダメなら「三人寄れば文殊の知恵」とばかり、協力してなんかしようと頑張ります。
結果として、潜在能力をより発揮することつながる。

「人と会う」「人が集まる」「遠くに旅行する」という、これまであまりにも当然で疑問に思いもしなかったことが、突然、不自由になってしまいました。
それは同時に、多くの気づきをもたらしてくれました。

私たちはこれまで、営業訪問や、会議や打ち合せで、相手の時間を使わせていることに、どれだけ敏感であっただろうか。
その会合は、参加者全員にとって価値ある時間にできていただろうか。
リモートでやってみたら、案外、それで済んだ、むしろその方がよかったという場面も新鮮な経験でした。

一方で、人と人が対面で直接会うこと、現地・現物の大切さも再確認できました。
同じ空間に一緒に居ること、気づきあい助け合うこと、その場の空気感、なにげない会話等の中から、私たちは豊かな洞察を得ています。
リモート、オンラインだけでは得られない、感性、洞察力、想像力など、人間として大切なことの重要性は、今後一層増していくことでしょう。

近年の地震、台風、水害では、老朽化したインフラの再構築や、情報インフラ整備など、国土強靱化の必要性が再認識されました。
今回のコロナ禍では、人々の安全な生活に必要な基本的な物資の生産は、私たち日本人の手で日本国内でつくられるべきと思い知らされました。
グローバル化、サプライチェーンの見直しは避けて通れませんが、そこにビジネスチャンスも生まれるはずです。

蛹(さなぎ)は、外からはただじっと動きませんが、その内部では驚くべき変態を遂げ、まったく新しい姿になって羽化します。
いま、私たちも、外的にはじっと静かに動きを制限しながらも、内側では着々とかつ大胆にトランスフォーメーションを進めるべき時なのかも知れません。

2021年の私たちは、こうした気づきを具体的なヒントに置き換えながら、ものづくりを通して客様の役に立ち、社会における役割を果たして参ります。
不自由の多い、心配事の絶えない世の中ですが、小さな気づきを喜びのエネルギーに替えながら、明るく楽しく、力を合わせて。

本年も今野製作所をよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

2020年(令和2年)、あけましておめでとうございます。


昨年は平成から令和へと御世が代わり、本年は特別に新たな気持ちをもって新たな10年、2020年代をスタートできることを、お喜び申し上げます。

昨年2019年までの10年間を振り返ると、歴史上かつてない勢いで進んできたグローバル化と情報化に課題が見えてきた10年ではなかったでしょうか。

ヒト・モノ・カネ・情報の国境を越えた自由な移動は、多くの恩恵を世界にもたらすと信じられてきましたが、どうやら、その副作用なのか、綻びなのか、もともと間違っていたのかは判りませんが、経済的にも社会的にも混乱・軋轢が世界各地で起きており、国際社会は不安定化の一途をたどってきました。

未来は極めて不確実、まさに一寸先は闇といった状況です。

しかし、国難に直面した時代ほど、技術や社会が進歩することも、歴史が示すところです。ピンチはチャンス。危機的状況はより良く変わる原動力でもあります。

相次ぐ自然災害への対応、老朽化したインフラの更新やデジタル社会への対応、生産年齢人口の減少下での働き方改革など、待ったなしの課題に立ち向かう真摯な努力は、企業の生産性や収益力を向上させるだけでなく、私たち個々人にも豊かさと充実感をもたらすはずです。

昨年頻発した大型台風や豪雨で知ったことがあります。

それは例えば東京の河川が決定的な氾濫から免れたのは、治水の現場で働く方々が、見えないところで闘ってくれていたからだということです。

危機を乗り越えるためには、派手で一見格好良い「改革」ばかりでなく、現場で日々繰り返される「地味であたり前のこと」の積み重ねが大切なのだと再認識させられます。

あらためて現場重視、現場を守る方々にスポットライトがあたるべき時代なのでしょう。

今野製作所は、本年も社員一同、ご縁をいただいたお客さま、お取引先さまとともに、重量物運搬据付現場の改善、工法開発、省力化、研究開発のニーズにチーム一丸となってお応えしていく所存です。

そのために、技術力の向上、人材の育成、デジタル化への対応に一層力を入れて参ります。

 

本年もご指導ご鞭撻をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

 

2020年1月1日
株式会社 今野製作所
代表取締役 今野浩好

お久しぶりです。業務部のタケモトです。

 

先週、例年より少々遅めの経営報告会を行いました。

 

会場は、会津若松東山温泉の「東山グランドホテル」さん。

 

 

豪華な会場をご用意いただきありがとうございました。

50期の報告と、51期の目標を各部署ごとに発表し、ますますの飛躍のために力をあわせていくことを、社員全員で確認しました。

 

 

前回から今回までに入社した新入社員は6名。

彼らももちろん、すでに今野製作所の「力」の一員です!

 

最後に、来賓の方々も交えて、全員で記念写真をとってお開きとなりました。

ご来賓の皆様、遠い所を弊社のためにありがとうございました!

 

 

報告会の後は、恒例の懇親会です!

盛り上がりすぎて、お見せできる写真が少ないのですが(汗)

 

 

美味しいお食事とお酒

 

 

豪華賞品が当たる「社員の名前 de ビンゴ大会」や

 

 

「タオル相撲」などのゲームでも盛り上がりました!

年に一度だけ、全社員が集まる機会なので、お仕事の話もしつつ、全力で楽しんでいました。

 

さて、2日目は、会津若松観光。

飯森山では、ローマから送られたという「イーグル」の像の前で集合を写真を撮りました。

 

 

大雨かつ寒いという天気予報でしたが、みごとに雨は上がり、暑いくらいのお天気に恵まれました。

幸先よさそう!

 

51期も、今野製作所をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

皆さんおつかれさまです。福島工場のアマルとスルヤです。

10月9日に帰国することになります。

3年間頑張りました。本当にありがとうございました。

いろいろお世話になりました。



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こんにちは、スルヤです。

3年間長いような時間ですがとても早く感じました。

3年間前初めて日本に来た時不安なことばかりでした。

日本語が喋れなかったから仕事ができるようになるか生活も慣れるようになるか本当に不安でした。

 

でも皆に仕事も生活も優しく教えてくださってまことにありがとうございました。

 

もちろん人生と言うのは楽しいことばかりじゃないですね。

1年目はとても苦労しました。

仕事が失敗してほとんど毎日怒られました。

ストレスも貯まりました。

やる気もなかなか出なかった。

朝から怒られてその一日は最悪になりました。

時々「仕事を辞めるかな」と思いました。

 

でもせっかく日本に来て目的があるわけです。

未来のため家族のために日本に来たから諦めるわけがない。

それのおかげで私のこころが強くなりました。

 

私が失敗したから先輩に怒られました。

だから怒られる時には落ち込むんじゃなくて次は失敗しないように頑張ろうと考えました。

今の人生の道は自分で選んだから最後までやりきると思いました。

それからストレス解消のため休みの日に旅行したり友達と遊んだりしました。

それでだんだん楽しくなりました。

3年間のうちに私は何回も病気になりました。

皆に病院まで連れて行ってもらって本当にありがとうございました。

それから他の問題もいっぱいありました。

自転車を盗まれたりボヤを起こしてしまったり申し訳ありませんでした。

日本はとても素晴らしい国だと思います。

日本の季節と文化と技術と大好きです。

日本人はいつも時間を守ってルールを守ってすごいです。

 

日本は私の国の二番目で今野製作所の皆様は私の家族の二番目です。

機会があったらまた日本に戻りたいです。

日本で学んだことをインドネシアに持って帰って生かしてしたいと思います。

 

日本のことと皆さんのことがいつまでも忘れられません。

皆さん今までいろいろお世話になりました。

3年間本当にありがとうございました。とてもいい経験でした。

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皆さんこんにちは、アマルです。

この短い3年間ありがとうございました。

皆さんの優しさのお陰で、3年間本当に早いと感じていました。

 

この会社で3年間実習生として経験させてもらって、忘れられないことになりました。

インドネシアに帰国して、家族と会えるのは楽しことなんだけど、皆さんも私の2番目の家族なので、ちょっと悲しくなりました。

 

この3年間の苦しいこと、悲しいこと、楽しいことを過ごして、今何か思い出すと、笑えることになりました(笑)。

3年間は早いなあと思いました。

 

これからも今まで日本で勉強したことをインドネシアに貢献したいと思います。

 

皆さん本当にありがとうございました。

いろいろお世話になりました。

 

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Halo, saya Surya.  3tahun adalah waktu yang lama, tetapi saya merasakannya sangat cepat.  Ketika saya pertama kali datang ke Jepang tiga tahun lalu, saya sangat khawatir.  Saya tidak bisa berbahasa Jepang, jadi saya benar-benar khawatir apakah saya bisa bekerja atau terbiasa dengan kehidupan.  Tapi untuk semuanya terima kasih banyak atas kebaikan Anda untuk mengajari saya tentang pekerjaan dan kehidupan.  Tentu saja Hidup tidak hanya menyenangkan.  Tahun pertama sangat sulit.  Saya dimarahi hampir setiap hari karena pekerjaan saya gagal.  Saya merasa stres dan  Saya tidak punya banyak motivasi.  Saya dimarahi sejak pagi dan hari itu adalah yang terburuk.  Terkadang saya berpikir "Saya berhenti dari pekerjaan saya".  Tetapi ada tujuan untuk datang ke Jepang.  Saya tidak bisa menyerah karena saya datang ke Jepang untuk keluarga saya di masa depan.  Berkat itu, hatiku menjadi lebih kuat.  Saya dimarahi oleh senior saya karena saya gagal.  Jadi ketika saya gagal, saya tidak merasa tertekan, jadi saya memutuskan untuk mencoba yang terbaik untuk tidak gagal.  Saya pikir saya bisa melakukannya sampai akhir karena saya memilih jalan hidup saya.  Kemudian saya bepergian pada hari libur dan bermain dengan teman-teman untuk menghilangkan stres.  Itu menjadi menyenangkan secara bertahap.

 Selama tiga tahun saya sering sakit.  Terima kasih banyak telah membawaku ke rumah sakit.  Lalu ada banyak masalah lain.  Saya menyesal sepeda saya dicuri atau kebakaran terjadi.

 Saya pikir Jepang adalah negara yang sangat indah.  Saya suka musim, budaya, dan teknologi Jepang.  Orang Jepang selalu pandai menjaga waktu dan mengikuti aturan.  Jepang adalah negara kedua saya dan semua orang di Konno adalah keluarga kedua saya.  Saya ingin kembali ke Jepang jika ada kesempatan.  Saya ingin membawa apa yang saya pelajari di Jepang kembali ke Indonesia dan memanfaatkannya.  Saya tidak akan pernah melupakan Jepang dan Anda semua.  Terima kasih atas dukungannya.

 Terima kasih banyak selama 3 tahun.  Itu adalah pengalaman yang sangat luarbiasa .

Halo, saya Ammar.  Terima kasih untuk 3 tahun yang singkat ini.  Berkat kebaikan kalian, aku merasa ini sangat singkat selama tiga tahun.  Saya bisa mengalaminya sebagai magang selama 3 tahun di perusahaan ini, dan itu tak terlupakan.  Sulit bagiku untuk kembali ke Indonia dan bertemu keluargaku, tetapi aku agak sedih karena kau adalah keluarga kedua.  Saya sudah mengalami 3 tahun kesakitan, kesedihan dan kesenangan, dan sekarang saya bisa tertawa ketika saya mengingat sesuatu (tertawa).  Saya pikir itu awal selama 3 tahun.  Saya ingin berkontribusi untuk Indonesia dalam apa yang saya pelajari di Jepang.  Terima kasih banyak semuanya.  Terima kasih untuk semuanya