春色無高下  しゅんしょくにこうげなし

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『圜悟語録』
春色無高下。花枝自短長。

前句では差別中の平等を、後句では平等中の差別をいっています。
つまり、春の暖かな陽射しは高い梢にも木の下に生える草にも変わらず降り注がれます。
また、一方では同じ花を付ける枝でも、短いものもあれば、長い枝もありそれぞれである。だからこそ全体の姿が美しく整っているというものです。

同じ地球にいながら、同じ太陽に照らされながらも、私たちはそれぞれに違いがあります。
そういった違いがあるからこそ、バランスがとれ、豊かに調和しているのですから、みんなそれぞれ違っていていいのだよ、ということを教えてくれる禅語です。

 禅の世界は、クールなリアリズム。妙な平等主義がないからいい。
 陽光は地上に公平に注がれる。なのに、花や枝は長いものもあれば短いものもある。
 つまり、それぞれ結果は異なって当たり前ということ。
 人と同じでなければならないと思う必要もない。あるいは、人と同じでないことを不平等だと訴える必要もない。
 美人もいれば、ブスもいる。ナイスバディもいれば、おデブさんもいる。天才もいれば、知的障害のある人もいる。ゴリラのような腕力がある人もいれば、虚弱な人もいる。
 「人とちがう」ことを「特徴」と見られるかどうか。自分が生まれつきもっている条件を肯定しよう。