一番悲しくて、一番うれしかった日 | 【日刊 ノボちゃん】

一番悲しくて、一番うれしかった日

8月29日は浅草サンバカーニバル。

 

出演させていただくのは2003年以来連続のことだ。

仲見世バルバロスは優勝を目指していたので、私が担当のアーラ(パート)も今までで最も練習を重ねてきた。

メンバーにも「本番当日だけは遅刻厳禁、体調を整えること」と口酸っぱく言ってきたのだが、それを揺るがす出来事があった。
 

過去最高の衣装を作っていただいたのだが

 

前夜から体調不良を訴えた出演者が、当日朝になって出ないことになった。

「救急病院に行って」「救急車を呼んで」と何度も言ったが、病院に行かないから、病名も特定できない。

「盲腸です」「コロナに罹患しました」なら、上層部にも報告もできるが、「体調不良で欠場します」とは言えない。

 

実は当初74歳の出演希望者がいて、上層部が熱中症を心配してご本人が辞退されたのだが、私は年齢の高い方より、若い子のほうが心配だった。

 

結局、私の嫌な予感が的中して、最年少のメンバーがドタキャンとなった。

 

白いブーツがトワラーの象徴

 

振り返ると、私はバトンの大会でいつも高熱を出していたが、会場に行くと元気になっていた。

全国大会で手の指をケガした友人は、忘れもしない品川プリンスホテルの救護室で、アイスホッケーの選手が使う麻痺させる薬を塗って大会に出場した。

 

骨折などのケガで大会に当日出られなくなった人はいなかったし、自分もそういうケガによる不出場の経験はない。

病気の場合は皆、無理をしてでも出演していたのだ。

隊形を組むパフォーマンス、年に一度の大きな大会を、体調不良という理由で当日キャンセルする人がいることに呆然とした。
 

皆のステキな笑顔を見よ

 

あと3日で、「バトンを始めて55年」という年月の中で、こんな不出場は初めて。

 

「這ってでも来い」という昭和の根性論は令和の時代は通じない。

”なぜ私はこんな目に遭わないといけないのだろう?”と、朝の6時にはらはらと涙が流れてきた。


なんとか来てもらうよう考えていたが、こいつ(事象ではなく、本人も気の持ちようの問題)はどうしようもないと思ったら、「1人減でやる」と覚悟を決めた。

1人減ったフォーメーションを考えて、メンバーのLINEグループに画像投稿し、それをまとめたプリントも集合場所で配った。
 

9時台からパレードコースの封鎖は始まると知った

 

ビルの前の狭い空間で確認してもらい、新しい構成で本番をやってもらうことに。

数か月練習してきた内容を当日の朝変更し、広い場所で練習もせずに本番を迎えるのは初出場のメンバーにはハードルが高い。

ところが、ベテラン揃いのチームメンバーは元からそんな振りだったように涼しい顔で踊っていた。

純粋に、すごいなあと感心した。
 

雷門は間違いなく日本で最も有名な観光地

 

究極のピンチでも一瞬で乗り越える仲間に出会えたことそ、私にとって幸せなことではないか、

 

絶対に優勝しなければいけないという覚悟の下、過去最高に練習したし、過去最高に歌も頑張ったのだが、結果は昨年3位で、今年も3位。

でも最高に頑張った3位なら価値があると心から思えた。

頑張りました、私たち。
 

来年も仲見世バルバロスを応援してね。

 

 

 

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