国宝に引かれて三井参り | 【日刊 ノボちゃん】

国宝に引かれて三井参り

2月の初日は母のお供で三井記念美術館の「国宝熊野御幸記と藤原定家の書」展へ。

 

三井記念美術館の建物の外観

三井本館、日本橋三越、コレド室町全て初めて

数日前に母が新聞で見つけ、前日も翌日も予定があるので、日帰りで関西から上京したものだ。

漢字の羅列を見て、絵画ではなく、縦書きの書の関係の展覧会なんだな…という程度の認識しかなかった。


東京駅から徒歩で三井本館を目指したものの、先に昼食を取ったため、強烈な睡魔が…。
 

 

熊野御幸記と藤原定家の書展のパンフレット

教科書に出てくる人の筆跡を拝めるとは

 

書と現代語訳がずっと並んでいても、図や地図などがないので、この展示がいったい何なのかさっぱりわからなかった。

途中に置いてあるベンチで何度もうつらうつら。

帰宅後に調べてみると、

・「熊野御幸記」(くまのごこうき)は国宝
・「熊野御幸記」は上皇の旅行に随行した歳の記録
・ 「熊野御幸記」は藤原定家の書
ということがわかった。

 

三井記念美術館の展示メニューと食事

「菜な」の和食と三越喫茶室のワッフル

『熊野御幸記』に記された「王子(王子社)」は、鎌倉時代初期の1201年(建仁元年・2年)に後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した藤原定家が、参拝した王子(熊野の神の御子神を祀る社)の様子を記した貴重な旅日記の記述
だとか。

だから、〇〇王子という言葉がたくさん出てきたのか。

今で言えば、マラソンの中継所とかお遍路さんが参るお寺のようなものかもしれない。

藤原定家は百人一首を作った人だ。

 

三井記念美術館周辺の街並みと人物

日本橋に高層ビル出現、急にできたなあ

さらに藤原定家のウィキペディアを見ると、
18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』(2000年に国宝に指定)を残した。このうち、建仁元年(1201年)に後鳥羽天皇の熊野行幸随行時に記した部分を特に『熊野御幸記』と呼ぶ。

歴史が嫌いで嫌いで、大学受験でも一切選択しなかった私にはこれらのつながりがさっぱりわからず、展示してある文字もほとんどが読めない。

けれど、ある方面の人(例えば私の母)からすると、新幹線で往復してでもなんとか一目見たいお宝なのだ。

 

日本銀行本店:藤原定家の書展会場

日銀も近くで見るのは初めて

でも、母が言うように、歴史上の人物がしたためた文章と書が目にしているということはとんでもない経験だと思う。

825年前のことが記録され、朽ちずに残っていることがまず素晴らしい。

最終日は群衆が押し寄せる感じではないものの、静かに館内が埋まっていた。

若い方も結構いたが、皆さんどこで知って、これに興味を持たれたのか、不思議でならない。

 

どんな理由であれ、この展覧会に来場している方々はかなりの教養を身に着けたお方ばかりだと推測される。

 

三井記念美術館の展示室と資料室

100年前から水洗トイレがあったらしき三井本館

母は1日で1万歩以上歩いたらしいが、「牛に引かれて善光寺参り」のように「国宝に引かれて三井参り」。

「歩け」と言われてもとても歩けない距離を定家の書に誘われて歩いている。

90代の母を行動させる藤原定家恐るべし。

 

三井記念美術館の展示風景

資料を保存する部屋の扉

私も90代になった時に新幹線に乗って京都あたりまで展覧会に日帰りできる行動力を持っていたいものだ。

昨2月1日で終了

https://artexhibition.jp/topics/news/20251205-AEJ2795758/

 


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