猫の後ろ姿 1988 一身に二生を経る | 「猫の後ろ姿」

猫の後ろ姿 1988 一身に二生を経る

 

 

  『日本学芸新聞』という小さな新聞が先の大戦の戦前・戦中に発行されていた。その復刻を全頁丹念に読んだ。美術関連の記事を中心に読んでいるのだが、文学・演劇の領域でも戦時下日本のありようを考えさせる興味深い記事がある。
 
 戦時下の久保田万太郎と佐多稲子の写真があった。
上は、昭和17年8月1日の『日本学芸新聞』136号に掲載の、日本文学報国会劇文学部会幹事長・久保田万太郎。
下は、昭和16年10月10日の『日本学芸新聞』118号、「満洲の兵隊さんと開拓団 窪川稲子氏に訊く」掲載の窪川稲子(のちに佐多稲子)。

 戦後それぞれに大切な作品を僕等に残してくれた二人も、当時は戦時下にあって、戦時体制翼賛の役割を果たしていた。
 それを非難しようというのではない。この二人のように、文学者も画家も、そして庶民もまた厳しい戦時体制下を経験し、戦後へと生き続けた。

 「一身で二生を経る」という言葉を以前読んだことがある。一人の人間が、全く異なる体制の社会・国家に生きる、ということ。
 久保田万太郎も佐多稲子も、軍事ファシズムの世を経て、戦後の「民主主義」の世を生きた。「一身で二生を経る」経験を二人はした。
 戦前・戦中の記憶を抱え込みながら戦後という時代を彼らは生きた。その記憶を二人は、どのように作品の中に意味づけたのか。そんなことを考えてみたいと思う。
またそれは、日本人はあの戦時下をどのように生きたのか、を考える事でもある。
 
 戦争の体験者がこの世にいなくなる時、次の戦争が始まる。新たな戦時下がすぐそこにあるという実感を僕は持つ。二人の戦時下の事を考える事は他人ごとではない。
 文字通り、我事である。