1年前の今日、2月20日
晟也が『横隔膜ヘルニア』と診断された日
2月19日に大暉の1日体験入園・説明会を終えて、翌日に実家に里帰りするハズだった…
実家に行く朝を迎える前に来てしまった陣痛
夜中4時に自宅から実家近くの出産予定の病院へ車を走らせる
朝5時に入院するも陣痛が進まずに、昼過ぎには一旦帰宅かという話しも出る。
元々検診の時から赤ちゃんは小さめと言われ続けていて、1週間前の検診では38週に入ると言うのに推定2000g。
そんな事もあって、陣痛の合間にエコー検査をしようという話しになり、付き添ってたパパをLDRに残して別室にある検査室へ…
38週6日、推定2200g。
低体重以外には特に何も言われず、いつもと同じような感じで検査終了。
小さいケド元気で生まれてくれたらそれで十分
そんな期待が一気に不安に変わったのが、1時間後…
何故かさっきとは違う先生がやってきて、もう1度エコーをしたいと言われる。
またパパを残して1人で検査室へ…
1時間前とは雰囲気が違う検査室。
さっきは居なかったちょっと偉そうな看護婦サンに、続々と現れる別の先生…繰り広げるヒソヒソ話し…
何があったのか聞きたいケド、怖くて聞けない…
ひたすら黙って待っていたら、ようやく先生が口を開いた。
エコーの画面をみせられながら、『赤ちゃんの心臓が右にあるのがわかりますか』って。
『普通は心臓は左側にあるので、エコーでこんな風に見える事はありません』
『お腹の赤ちゃんは…多分、横隔膜ヘルニアという病気です』
突然の事で泣く事も、先生に質問する事も出来ず、ただ先生の話しを冷静に聞いていた。
それから先生が受け入れしてくれる病院を必死で探してくれた。
大学病院や市立病院…市内でも大きい病院には、ベッドが空いて居ない・先生が不在などで断られ、転院先が決まるマデ、2時間近くかかった。
やっと受け入れてくれる病院が見つかり、夜7時救急車で転院先の病院へ
転院先でも何人もの先生がエコー検査。
勿論、診断結果は変わらず…
病院についた時には、子宮口は3センチ、陣痛は5分間隔。
土曜日の夜という事もあり、出来れば月曜日まで持たせたいと、ウテメリンの点滴で陣痛を抑えられる。
経産婦なので、抑えられない可能性もあるケド、その場合でも、小児外科や麻酔科・新生児科(NICU)はすぐに準備出来る体制をとっているので、安心して下さいと言ってもらえた。
お腹にいる状態では赤ちゃんは元気
でも、生まれたら肺呼吸が出来ないので手術しないと生きていけない…
すぐに手術ができる状態なのか…手術後の状態・合併症…予後…
何もかもが生まれてみないと分からない。
手術してみないと何とも言えない。
侑ちゃんと大暉を何のトラブルもなく出産し、晟也も当たり前に健康で産まれると疑わなかった1年前…
自分に限って…
我が子に限って…
そう思ってた。
当たり前なんてないんだ。
健康で産まれるって当たり前の事じゃないんだって実感した日。
晟也が産まれたのはこれから2日後の話し
また誕生日当日にでも続きを書こうかな
今では手術した事を忘れてしまうくらい元気
うっかり手術した事を忘れて生命保険に入ろうとして、告知項目(3年以内に手術をして居ない)でひっかかった(笑)
幸せな事だね
健康で産まれるのも奇跡だケド、
産まれてから元気に育つのも奇跡だね
生きている事が奇跡
どんな姿でもいい…生きて傍に居てくれたらいい…
そんな風に願った1年前。
ちゃんとママの傍で笑って泣いて…元気に生きてくれている。
ありがとう
生きている事に感謝
ママの所に産まれてくれてありがとう
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