壺井繁治「十五円五十銭」 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 関東大震災時の朝鮮人虐殺で朝鮮人の識別法として「15円50銭」を発音させるということが実際に行われていたことについては,壺井繁治の長編詩「十五円五十銭」を通じて広く世に知れ渡ったと言っていいだろう。戦後20~30年くらいまでは,この詩はそれなりに影響力を持っていた。戦後生まれの人で,この詩を読んで朝鮮人虐殺の実態を知ったという人も多いのではないか。

 

 おそらく中山ラビもこれを読んでいただろうが,なぜラビさんが,「15円50銭」ではなくて,「13円50銭」という歌詞にしたのか,という疑問が私の中にずっと残っている。公の活字記録や文献などにはあまり「13円50銭」という言葉は出てこないからだ。関東大震災時の朝鮮人識別法について調査・研究した安田敏朗氏の論文(「流言するメディア――関東大震災時の朝鮮人虐殺と『15円50銭』をめぐって」)を読んでも,「15円50銭」のほかに「10円50銭」や「1円50銭」を発音させたという記録・文献は紹介されているが,「13円50銭」の記録は出てこない。

 

 ラビさんが壺井繁治の詩に触発されて,「13円50銭」という言葉を想像で作ったということも考えられなくはないが,しかしタイトルにもなっている肝心の歌詞が創作となると,この歌の重みやリアリティが薄れてしまうように思える。私はこの言葉「13円50銭」は事実にもとづいたものと考える。

 

 以下は私のまったくの推測なのだが,これはおそらくラビさんが誰かから伝え聞いた言葉で,それを主題に歌を作った。そして,その誰かとはラビさんの父親だったのではないか。ラビさんはプライベートなことはほとんど公表してこなかったが,父親が在日朝鮮人であることをローカルな場所で語っていた。年齢的に遡ってみると,ラビさん(1948年生まれ)の父親は子どもの頃に関東大震災に遭っていておかしくない年代である。ラビさんは父親から「13円50銭」という識別法とともに,震災時の恐ろしい経験を聞いていたのではないか。そうでなければ,あのようなリアリティのある歌詞は書けないだろう――というのが私の推測である。

 

 なお,ラビさんには父親のことを歌ったであろう曲がいくつかある。例えば「むしあつい日の午後」には下のような一節がある。「内緒の名」とは,父親の民族名(本名)のことであろう。それを「聞こえぬよう」に呼んだという思い出を,切ないメロディーに乗せて歌ったこの曲を聴くと,今も胸を締めつけられる。

 

内緒の名を呼んだ 聞こえぬよう

そんな昔を思い出し

 

 

 

 「女ボブ・ディラン」という評価は,中山ラビの音楽世界の一面を見たものにすぎない。ラビさんの音楽は,朝鮮人差別やマイノリティ,ジェンダーといった,もっと広い文学的・民族的視座から評価し直されるべきだ。

 

 上で紹介した安田さんの論文でも,もちろんラビさんの「13円50銭」は出てこないが,そもそも安田さんはこの曲の存在や中山ラビというアーティストのことを知らないだろう。だから仕方がない面はある。たぶんここ40~50年は,あの曲がテレビやラジオなどの公共の電波で流れたことはなかったであろう。こうして誰の耳にも入らなくなり忘れ去られていった。このことは,壺井繁治の「15円50銭」についても言えるのではないか。この詩を読んで朝鮮人虐殺のことを知ったのは,おそらく団塊の世代までであろう。それ以降は,この詩が忘れ去られていくとともに,朝鮮人虐殺の記憶も薄れていったと言っていい。

 

剣付鉄砲のたちさった後で
僕は隣りの男の顔を横目で見ながら
――ジュウゴエンゴジッセン
ジュウゴエンゴジッセン
と、何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
チュウコエンコチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう

(壺井繁治「十五円五十銭」より)

 

 その流れとは逆に,加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(WAC)のような根拠薄弱なトンデモ本が売れたり,横浜市立中学校の副読本で「虐殺」が「殺害」に書き換えられたり,しまいには関東大震災時の朝鮮人虐殺を完全否定する無知の極右政治家が東京都知事になってしまうなど,朝鮮人への差別と虐殺の記憶を抹消してしまおうという動きが活発化している,というのが昨今の動向である。

 

 こういう歴史修正主義というか,歴史と誠実に向き合おうとしない態度が社会の中で主流となっていいのか,と問わざるを得ない。私たちはこういう危険で反動的な動きにははっきりとNOを言わねばならない。なぜなら,そうした朝鮮人差別や虐殺を否定し無かったことにしようという傲慢で不誠実な態度が,いじめや差別,虐待,虐殺を容認もしくは煽動するような危うい現状を生み出していると思うからである。すなわち,植松聖の障害者大量虐殺も小山田圭吾の障害者虐待も「ホロコースト」コントも,関東大震災時の朝鮮人虐殺から地続きでつながっている。だから私たちは記憶の根源を呼び起こし,虐殺の事実と向き合わなければいけない。壺井繁治の「十五円五十銭」や中山ラビの「13円50銭」を歌い継ぎ,後世に伝えていかねばならないのだ…

 

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数を数えることはできぬ

(中略)

無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ

君たち自身の口で

君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば

君たちに代わって語る者に語らせよう

いまこそ

押しつけられた日本語の代わりに

奪いかえした親譲りの

純粋な朝鮮語で

(壺井繁治「十五円五十銭」より)