中山ラビ「13円50銭」 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 

どもるだけで すべて終わりさ

身を守るため 13円50銭

 

どもるだけで すべて終わりさ

身を守るため 13円50銭

 

 

 前回紹介した「満鉄小唄」は戦前から歌い継がれてきたいわゆる春歌だが,こちらは中山ラビのオリジナル曲。どういうきっかけや動機でこの曲を作ったのか,ラビさん本人があまり多くを語っていないようなのではっきりしたことはよくわからないが,「満鉄小唄」をライブで歌っていたことを踏まえて考えると,もしかするとこれは,アーティストとしてのラビさんの原点とも言える曲ではないか,とも思えてくる。

 

 言うまでもなく,これは関東大震災直後に起こった朝鮮人虐殺のことを歌った歌である。日本人自警団らは,片っ端から通りすがりの人たちに「13円50銭」を発音させ,上手く発音できなければ朝鮮人と決めつけ,虐殺した。「13円50銭」よりも「15円50銭」や「10円50銭」を言わせるケースの方が多かったようだが,「50銭」は共通している。つまり朝鮮人には「50銭」が発音しにくく,「コチーセン」のような発音になってしまうから,日本人からすると朝鮮人と判別しやすかったと言われる。また十円台も共通しているが,要は,語頭に「じ」とか「ご」といった濁音が立たない,という朝鮮語の特徴をうまく利用した朝鮮人判別法,ということらしい(安田敏朗「流言というメディア――関東大震災時朝鮮人虐殺と『15円50銭』をめぐって」JunCture2015.6,参照)。

 

 どのようにして,こうした「13円50銭」などの識別法が確立したのかは,必ずしも明らかになっていない。そういえば,「満鉄小唄」にも「3円50銭(コチーセン)くれたなら」というフレーズがあった。すでに戦前から朝鮮人の発音の特徴を,日本人,特に官憲サイドはつかんでいたのだろう。

 

 ラビさんは,そういう朝鮮語の訛りを実に上手く歌の中に取り込んで,淡々と歌っている。淡々と歌っているが故に,かえって哀しさや残酷さが際立ってくる。この曲を含むアルバムが発売された1970年代初め,どれだけの人がこの曲の背景や意味内容を理解していたのかは不明だが,アルバムはそれなりに売れ,ラジオの深夜番組でもこの曲が流れていたというから,今よりは社会の関心も問題意識も高かったのだろう。

 

 ラビさんは最晩年のインタビューで,当時は

 

変わった人たちを受け入れる空気があった

 

と言っている。この言葉は,70年代から80~90年代を経て21世紀まで,さまざまな時代をくぐり抜けてきたラビさんの実感であろう。おそらく,その「変わった人たち」の中にはラビさん自身も含まれていたに違いない。そのインタビュー記事は,当時の時代背景について,次のようにまとめている。

 

 ベトナム戦争の反対運動により,人々の間には政治にとらわれない生き方,自由な生き方を望む風潮が広がった。平和を愛し,既成の価値観に縛られずに生きようとする若者たちが,ヒッピーの中心だった。その当時の新しい文化が流れ込み,国分寺の街にヒッピーのコミュニティが生まれた。

国分寺物語『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

 

 だが,80年代以降は,バブル経済と新自由主義が席巻する中で,ラビさんの音楽や世界観が時代とそぐわなくなってくる。時代は竹内まりやや松任谷由実などの,政治的には当たり障りのない,私的でハッピーなラブソングを求めた。ラビさんは80年代の終わりに音楽活動をいったん停止した。

 

 21世紀初頭の今日は,その「変わった人たち」を片っ端から排除していく流れがますます加速していると言っていいだろう。私たち「変わった人たち」は,この反動=極右化という大きな流れに強く抗っていかねばならない。そうしなければ生きていけない。

 

 ラビさんが亡くなったというニュースを受けて書かれた追悼文的なエッセイやツイートでも,「13円50銭」のことに触れるものは少ない。この曲がラジオでもネットでも自由に流れ,語られるようになれば,それが多様性や平等や平和を大切にする時代の証しであろう。だが今はまだほど遠い。何と言っても,関東大震災時の朝鮮人虐殺をなかったことにしようとしている人物が東京都知事をやっているのだ。小池百合子は,反動とレイシズムの時代の象徴的人物であろう。また,「変わった人たち」を排除し,ナショナリズムで国民を束ねて原発事故もコロナ感染症もなかったことにしようとする東京オリンピックは,まさに「犠牲と侮辱の祭典」と言っていい。

 

 けれども時代を遡ってみれば,そういう小池レイシズムやオリンピック・ファシズムと闘う私たちの心強い味方,良き理解者,共鳴者がいる。すなわち中山ラビは,「13円50銭」という歴史的名曲を私たちに遺してくれた。今こそこの歌を歌えと言っているような気がする。。