陶芸の魅力を三つの言葉で言い表すとしたら、私はこれらを選ぶ。

 

手仕事

科学的

ギャンブル性

 

陶芸は、機械を使わず手作業で作品作りをすることが多い。電動ろくろは機械と言ってもいいが非常にシンプルなもので、丸い円盤が回っているだけなので、電動ろくろによる成型は手仕事としても差し支えない。

また、ひとりで粘土つくりから焼成まで行うのも特徴的と言える。夫婦で作陶活動をし、奥様が絵付けをしているという場合もあるが、夫婦の共同作業や、お弟子さんを数人抱えているとしても手仕事には変わりない。

製陶所のように工業的要素が大きくなると分業になるから、こうなると陶芸ではない。

陶芸とは一人以上であって、ごく限られた人数で行う創作活動である。

 

粘土で作ったものに釉薬を施した後は、窯で焼く。

窯の中では炎によって化学反応が起きているから、科学的な側面が大きい。

ただし、そういったことを意識せずにも充分楽しむことができるというのも陶芸の良いところと言えよう。

釉薬は窯で化学反応させるためのタネのようなものだ。

それぞれ意味のある成分、アルミナ、珪石、酸化金属など決められた分量を水に溶かしこんで作る。

これが、焼かれるとこんな色になるのか、と不思議に思うことがある。

黒天目と鉄赤は焼く前の状態はほとんど見分けがつかない。

 

窯の扉を開けるときの高揚感は、ちょっとしたギャンブル性を感じる。

良いものが焼ければほっとするし、逆に失敗してしまうとがっかりする。

仕事にしている場合は生活に直結するから大問題だ。

趣味の場合も、制作した時間がこの瞬間に集約されていると思うとギャンブル性は否めない。

強アルカリ水の原料を作るためのガス窯

 

「貝殻焼成カルシウム」をご存じだろうか?

ネットのショップではホタテ貝由来の貝殻焼成カルシウムを原料に使った「強アルカリ水」製品が多く見受けられます。

実はこの「貝殻焼成カルシウム」の多くは当社のガス窯で焼かれているのです。

当社は、日本で唯一、ホタテ貝殻高温焼成用ガス窯の製作経験があります。

 

海に囲まれている日本はホタテ貝はもとよりカキなどの貝類が多く獲られています。

ホタテ貝は主に北海道産と青森産で99%以上を占めています。

北海道では天然ものホタテ貝で年間23万トン、養殖で約5万トン出荷されています(平成29年)。

 

https://region-case.com/rank-h29-product-hotate/

https://region-case.com/rank-h29-culture-hotate/

 

ここで問題になってくるのは貝殻の処分方法です。

廃棄物として貝殻が大量に排出されるが、自治体や漁協はその処分に長年苦慮してきました。

 

そこで北海道のオホーツク地方では大規模な貝殻処分工場を北見市常呂町に建設しました。

 

https://suisan.jp/article-12003.html

 

この工場では、土壌改良剤としてホタテの貝殻を再利用した粉末状の酸土矯正剤を製造し販売しています。

この粒状のホタテ貝殻は30kgに袋詰めされ売られています。

 

貝殻焼成カルシウムから強アルカリ水溶液を作る

 

その作り方は以下のとおり。

粒状(約5㎜角)のホタテ貝殻をやきもの用の甲鉢(サヤ)と呼ばれる耐火物でできた四角い容器に入れ、重ねてガス窯で焼きます。

焼成温度は1,200~1,250℃、昇温時間は約8時間、冷却時間は窯出しまで約12時間です。

ガス窯から出たものは一般に「貝殻焼成カルシウム」と呼ばれています。

この貝殻焼成カルシウムを粉砕機にかけ微粉末にします。

 

この微粉末を水1リットルに対して約1g溶かすとph12.5以上の強アルカリ水が出来上がります。

 

この強アルカリ水はタンパク質の分解や殺菌材としての効果があります。

 

ガス窯で焼くメリット

当社が通常製作している「陶芸用ガス窯」は最高温度が1,300℃近くまで昇温可能です。さらに炉内雰囲気は酸化雰囲気から還元雰囲気まで作ることができます。

陶芸では温度帯によって酸化雰囲気から還元雰囲気へと変え、最終的には弱還元雰囲気で焼成終了するのが一般的です。

しかしホタテ貝殻を焼成する場合は、炉内雰囲気は特に重要視されず、ガス窯の特徴として1,000℃以上は弱還元雰囲気で昇温することになり、他の炉で焼成されたものと違った反応を示します。

 

以下にその特性を挙げます

 

1,活性炭より強力な消臭力

2,農薬、ホルムアルデヒド等の毒分を吸着・分解

3,水や水蒸気を加えてもはとんど発熱しない(高い安全性)

4,強アルカリなのに肌荒れしない(ガス窯の高温焼成による特性)

5,中世領域でも殺菌力を維持

6,耐性菌を含む様々なウィルス、バクテリア、真菌等に対する強力な殺菌効果県座済

7,有害な副作用がほとんどない

8,特殊な装置を必要とせず安全に保管できる

9,開封・放置しても安全かつ、長期間効果を維持(未開封1年以上、開封後2か月が製品目安)

10,純度、濃度を気にせず安全に使える

11,生態系に流出しても大きな問題を引き起こさない

12、生体の洗浄(皮膚・傷洗浄、うがい等)への適用が可能(実用化には許認可、特許等取得が必要)

13,医療応用への検討できる(同上)

 

その他の特徴

 

反応が早い

水との熱反応速度が早い

ガス窯で高温焼成したものは電気炉で焼成したものより明らかに反応速度が速い

 

結論

高温焼成のできる陶芸用ガス窯を、貝殻焼成用に仕様変更したガス窯でホタテ貝から焼成カルシウムを作ると、これまでの焼成カルシウムよりも高性能な製品ができる。

私は黄金比が好きだ!

ということで、

6月18日は「黄金比の日」である。

これは私が勝手に設定したものです。

数字を並べると0618となります。

これに小数点を付けて0.618

0.618がナゼ黄金比かというと、

黄金比を表わす方程式 X2-X-1=0の解は、(1±√5)/2となり、X>0は黄金数です。

黄金比は1:1.618・・・

ここで右辺の1.618を1とし左辺φを解くと

1:1618=φ:1

φ=0.618・・・

になるからです。

 

私にとって、X2-X-1=0 はとても美しい方程式。

 

ある数字Xを2乗して、ここからそのある数字Xと1を引くと0になる。

言い方を変えると、ある数字Xを2乗すると、そのある数字Xに1を足した数字になる。

そんな数字は黄金数1.618・・・・しかないのです。

 

仕事関連でガス窯ユーザーさんから相談されることが良くあります。

以前は電話がほとんどでしたが、今はメールです。

 

よくある内容はやはり窯の炊き方。

ピンホールが出てしまうのでなくす方法や、うまく色が出なかったときの対処方法など。

 

最近多いのが燃料であるガスのこと。

 

ガス屋さんから値上げの連絡がきたのだが・・・とか。

ブタンガスを使用しているがプロパンガスに変更したいが変更は可能か?とか。

 

焼き方に関しては、

焼成時間をもう少し短くしたいが何かいい方法はあるか?とか。

公民館などの公共機関でガス窯を使用しているのだが、

夜間に窯を管理することができない。そこで良い方法はあるか?

 

変わったところでは、煙突に鳥の巣を作られてしまったが、対策は?

など。

 

できる範囲でお応えしますが、ほとんどすべてに回答しています。

 

 

 

 

耐火煉瓦と徳川斉昭(烈公)

 

大河ドラマ「晴天を衝け」では徳川慶喜の父、斉昭が重要な役割を果たしている。

ときは幕末、欧米の大国が日本にやってきて、国防の気運が高まり、尊王攘夷の志士たちが活躍した時代である。

そのような中、徳川斉昭(烈公)は国防の重要性と水戸藩領内に物産が少ないことに憂慮して、殖産興業に力を注いだといわれている。

烈公はやきものやガラス、製鉄のための反射炉の製造に力を注いでいる。

反射炉の製造には、築炉のためのノウハウ、人的資源、耐火煉瓦の製造が必要だ。

築炉のノウハウは、オランダ人が書いた「ヒュゲーニンの書」から得ていたといわれている。

ヒュゲーニンの書とは「ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」(1826年刊)というものらしい。

人的資源は、水戸やその近隣にそのような技術を持つ人は少なかったので外部からも連れてきた。この時点ではすでに、佐賀、鹿児島、韮山で反射炉が作られており、種々の情報は得られていたが蘭学者の育成が遅れていたため、南部藩の大島高任、三春藩の熊田嘉門、鹿児島藩の竹下清右衛門の三人を招致しなければならなかった。

耐火レンガの製造は、小砂焼きのある今の栃木県那須郡那珂川町で天保元年6月(1830)原料となる耐火粘土を見つけ、それに耐火度を上げるために今でいうシャモットなどを混ぜていたようだ。さらにその原料配合は窯の使用位置別に6種類も製造されたという。

さて、ここでそれらのレンガがどこで焼かれていたのだろうか?という問題。

資料によると、耐火レンガが焼かれたのは、小砂焼があり原料が取れた小砂と西山荘のある常陸太田、もう一つは笠間ではないかと言われている。

小林卯三郎氏の著書で「瓦師福井仙吉、手島勘吉の家来二人と山口勘兵衛等を招いて窯場を築いた。」とあり山口勘兵衛は笠間焼従事者だったようだ。その窯元は現在の「磯部陶苑」である。

小林卯三郎氏とは小林三郎さんのことで、「笠間焼陶業史」の著者である。

大河ドラマの中では徳川斉昭は政治的な描かれ方しかしていないが、殖産興業のために、やきものやガラス、鉄生産のための反射炉の製作といった事業もしていた。

それを思うと気苦労も多かったと思うばかりだ。

自分が思った通りに藩の役人は動いてくれず、藤田東湖(誠之進)が間に立って調整したという。その藤田東湖も第一炉の完成間直に安政の大地震で亡くなってしまった。

さらに斉昭自身も幕府から謹慎を命ぜられてしまう。それを受けて臣下の佐久間真介は無念なりとして割腹自刃して果てたという。

反射炉の製作は一時中断していたが文久2年(1862年)に再開されたが天狗党の乱で破壊され、頭領の与七は捕らえられ入牢、その後若くして他界、という悲運の連続だった。

コロナ禍の今、無力感を感じている人も多いと思う。だが、いつの世も自分の力の及ばないところで何かが動いていて、人間は運命に翻弄されているのかと思うとむなしい。せめてこの疫病には早々退散してもらいたいものだ。