今の子は習い事の一つや二つは当たり前ですね。
都会の教育熱心な家庭の子どもでは、1週間毎日何かしら習っている子もいます。
週休二日どころか休みなし。
以前、土曜の教室をやっていた時に、「ああ疲れた。この後もピアノがあるの」と言う子がありました。
聞いてみると、ピアノ、勉強、そろばん、英語、体操、スイミングで1週間埋まるだけでなく、1日に2つ掛け持ちの日もあるのだとか。
いつも疲れたような顔をして、肩を落としがちな様子が今でも目に浮かびます。
おばあちゃんが教育熱心で、そのおばあちゃんに育てられたお母さんも同じように教育熱心。
お母さんの期待に沿いたくて、習い事を辞めたいとは言い出せない。
ちょっと気の毒なお子さんでした。
ところで、羊自身も母親が教育熱心でした。
自分がかなえられなかった事を、こどもにはやらせてやりたいという動機だったと思います。
小4の時には、そろばんが週3日、絵画教室と書道と学習塾にピアノで、土曜だけ空いていました。
そんな時期は長く続かず、絵画教室は1年でやめたし、そろばんも3年くらいでやめました。
ピアノについては、習っていながら家にあるのはオルガンというミスマッチ。
母親にとっては、鍵盤楽器なら同じだろうという認識しかなかったと思います。
羊の子ども時代では、ピアノは裕福な家庭にしかないものでした。
当時の一般的な日本家屋では、ピアノを家に置くなら床の補強工事が必要でしたから。
オルガンが電動オルガンだったかどうか記憶にありませんが、速く弾くと音がついてこないので、それではダメだったと思います。
子どもだったのでよくわかっていませんでしたが。
それらの習い事で大人にその後役に立ったと思うのは、塾とピアノでしょうか。
クラスでは成績上位でしたが、塾に行けば同じような生徒がいたので、お山の大将にならずに済みましたし、地元で同じ年代では国立大学へ進学するのは珍しかったので、その後の進路にもすくなからず影響がありました。
ピアノの腕前はバイエルレベルで大したことはありませんでしたが、楽譜が読めるようになり、その後の吹奏楽や軽音楽のサークル活動などに大いに役に立ちました。
バンドの曲を耳コピして楽譜に起こしたり、簡単なコーラスのアレンジができるようになっていましたし。
音楽が好きだったからでしょうか。
結局、自分の子どもたちにもピアノはやらせて、野球馬鹿の子羊を除いた他の子羊は、みな音楽の部活動に入れ込みましたから、好きなものは続けられるし、役に立つのだと思います。
人生になんらかの潤いを与えられる習い事を、子どもにはやらせたいものですね!(羊)