NHK「原爆の絵」 | 幸せ、よろこび、楽しみ、癒し、ゆたかさ、ゆとり、、、等などの、小さなメッセージお届けします。クローバーのリトルメッセージ

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暑いのでプールにきました

娘と友人はプールに…、私は水着がないので室内に…



待ち時間をどうしようかと、とりあえず座ったところにTVがあり、放送していたのはNHKの「原爆の絵」という番組でした








私は、四年前に不安パニックを発病してから、
ショックキングな映像やニュースには、全く耐えられなくなり、翌年に起きた東日本大震災の映像はもちろん、残酷なものは一切触れることが出来ませんでした






自分自身の忍耐力が極限以上に達していて、それ以上は全く受け入れられない状態でした



今も通院と服薬、訪問看護を受けながらの生活です


そんな私が、やっと東日本大震災の映像を見られるようになったのは、今年に入ってからでした




《目をそらさずにきちんと見つめなければいけない》

それはわかっていても、精神が非情なものに耐えられないでいた私が


それでも、やっと、見た映像、、、



呼吸は浅くなり、心臓は速くなり、、、



それでも、直視する、、、





涙をこぼしながら見つめました、、、











そんな私が


今日、ここで



この映像を観ることは




とても大きなことでした







中学校の修学旅行で見た原爆ドームと資料館



そこにあった様々な遺品や、絵を


私は、当時最後まで全部見ることは耐えられませんでした





入ってわずかに数分で


私の感覚や理解の範囲を遥かに越えていまい


これ以上は堪えられない、、、





そして、震えるような心で出口に着くのを一心に待ちました





あれから…


戦争や原爆などのものは



ますます触れないようにしてきたような気がします





けれど、、、




なぜか、今日は




私は、この放送を最後まで見届けました








中学校のあの日を思い出させるような映像や絵、、、






あのとき感じたのと同じような


なんとも言えない恐怖と

計り知れないなにかが甦ります、、、




この番組は、2002年に放送されたとあり、原爆の記憶を記録として残そうという原爆資料館の働きかけにより、その当時の絵を
募集する、、、、そして、その絵を描いた方々の事を取材したものでした。

その当時の事を思い出すのも辛いかたが、敢えて、それでも絵を描いたのは、かつてこの世にこういう人が生きていた、ということを残さなければいけない、知ってほしいという思いからでした。


二度とは見たくない、と思った、あの原爆の様子を表したものを、



また、今日見たとき





私は、



恐怖や、胸の悪くなるような気持ちを再確認しながらも、それでもそこに、それを味わったかたの涙が、思いが、、、流れているのを見ているうちに


涙がこぼれてきました





学校の校舎が崩れ、下敷きになり、火傷をおいながら目の前で助けをこう小学生を助けようと、中学生たちが防水用の水を頭からかぶり、火のなかに飛び込んで助けようとする…

でも、火の勢いは増すばかりで、


助けてあげられない小学生が、瓦礫の中から出した手を握りしめている絵でした


そこには「助けてあげられなくてごめん」

そう書いてありました









小学生が自分を見つめている姿を描いた、そのご本人が、その時の中学生でした





被爆した人達、、、それでも生き残った人達が




思い出すことなど到底堪えられない、その当時の事を残していく、、、





その事によって



57年間ずっと

自分を許せず、攻め続けてきた思いからやっと

一つの区切りをつけられたかたがたくさんいらっしゃいました



いつ、どこで、どなたが亡くなったのか、、、




その手がかりになればと、

被爆者自身が、その当時の様子を描き残す、、、


その事によって
当時はどうやっても確認することが出来なかった、亡くなったかたがたの手掛かりにつながり、見つけ出すことができた人達、、、





家族、助けてあげられなかった人達、息をひきとる間際に聞いた人の名前、、、



見ず知らずの人の『死』に立ち会ったかたが最後にたずねたのは

「あなたの名前は?!」




せめて、そのかたが生きていたことの最後の証を自分に残すことで、
どこかで誰かが救われるかもしれない

誰もが無意識にそうしていたであろう時代




戦争を体験したひとは

今は


どのかたももう、70歳を越えていて、、、




20年前に病気で亡くなった私の父もいきていれば
今年で81歳、、、





戦時中は小学生で、食べ物が何もなかったこと


予科練にいってたこと


飛行機にのって、飛行帽にゴーグル、首にマフラーを巻いていた若き日の父の姿を


父の弟が見せてくれた時の事を思いだしました


あの年齢のかたがたのすごさ


戦争を体験し、戦後を体験したかたがた



今は物言わず
時代の流れのなかで、
それにあわせてそれとなく

記憶を語れるほどの時も経ってないのに



それでもそれを思い返して記録として残さなければと




一体

今の時代の『悲惨』さなど


どこに当てはまるのかというほどに















映像を見ながら

もはや『死』というものへの感覚が無くなった、、、という人のエピソードを聞いたとき



全く同じように


目の前の映像をもはや
自分の感覚では到底理解できない私がいた






きっと、私の中のなにかが



本能的に


拒否したのだろう







そんな中で、、、


でも、、、



人々が流す涙と


私の涙が重なった瞬間があったことを





人間の理解や感覚を越えたところにあった

人間らしさとして




私は受け止めた、、、






原発が再稼働するニュースを見た








《“過去ではない”》





と、

目の前の映像は


伝えているようだった




プールに遊びに来たわが家、、、






そんな平和な日の下に




この歴史があって





この平和な日があることを





私たちは忘れてはならないんだ




日本人だけではなく



世界中の人が、、、






映像を見ながら、


(原爆投下って何日だっけ、、、)


そんな自分は






この日このときの

このご縁に


そう伝えられた気がしてる





この映像を見ている間ずっと


テレビの周りを

キラキラ光る小さな天使たちが舞っていた





TVの中の出来事と、私を



癒すかのように、、、