鹿沼市ないにある
貝島今宮神社


小さな神社ですが
ここの気がとてもいいと聞き
ときどき訪れます

特に
ご神木のエネルギーがいいので
たまに
抱きつきます




今日
しばらくぶりに訪れたら
境内の桜の枝落としをしていました。

まだ
散りかけの桜が色づくなか、、、
桜の花は
無言のうちに
人の思いや手に
なされるがままにしていました
桜の木は同意したの?
いいって言ったの?
なんて
かってに
想像しながら、、、
でもこれも
きっと
全てにとって
よきこととして
計らわれたこと、、、
だろう、、、
そう思い
切り落とされる
桜を見つめていました
そんななか
残された
枝にわずかに残る
散りぎわの桜たちが
一斉に
舞降りてきました
まるで
切り落とされた
桜たちが
見せることができなかった
最後の晴れ姿を
仲間の桜が
代わりに
我が身をかけて
表してくれているかのようです
ひとつの根から
生まれ
育った
ひとつの
命として、、、
切られた桜も
残った桜も
一緒なんだよと
散りながら桜は
切られた桜に
伝えれいるようでした
わたしには
桜が
ひとつの命に見えました
あなたの命は
わたしの命
わたしの命は
あなたの命
あなたが散るとき
わたしも散り
わたしが散るとき
また
あなたも散り、、、
咲くときも
散るときも
一緒だよ
ひとつだよ
桜は
仲間に
そう言っていました
人間という
仲間の
わたしにも
桜の声が
聞こえました