んにちは!だいそんです!

 

 

多くの皆さんが苦手としている奈良時代。

 

僕もこの時代には本当に苦しめられました…

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも最終的には

この時代を理解できて、

問題が出てもすぐに答えを

出せるようになりました!

 

 

今回は、そんな奈良時代の流れを

わかりやすくお伝えしていきます!

 

 

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藤原不比等の時代

〜娘を天皇家のお嫁さんに〜

 

 

奈良時代の

一番最初に登場するのが藤原不比等です。

 

 

 

 

 

 

 

 

この人で押さえておきたいことは、

娘を天皇家に嫁がせたということです。

 

 

こうすることで天皇家と仲良くなり、

自分たちを優遇してもらおうと考えたのです。

 

 

特に娘の光明子は、のちの聖武天皇

嫁いでいったことを押さえておきましょう!

 

 

また、不比等の時に

平城京が遷都されました。

 

 

 

長屋王の時代

〜三世一身法の発表〜

 

 

不比等が死ぬと次に

長屋王が政治の中心になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

長屋王がやったことは、

三世一身法の制定です。

 

 

今までは土地は

耕している人が死んだら

国に返さないといけませんでした。

 

 

それを、自分・子供・孫までの

三世代まで土地を返さなくても

よくなったのです。

 

 

 

 

藤原四子の時代

〜長屋王は邪魔だ!〜

 

 

しかし、長屋王を

邪魔に思っていた人がいました。

 

それは藤原氏です。

 

 

そこで729年、

不比等の子供の4兄弟(藤原四子)は、

「長屋王を消そう!」と考えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らは長屋王を罠にはめて、

自殺させることに成功しました。

 

これが長屋王の変です。

 

 

その後出てきた天皇は聖武天皇です。

 

 

 

 

ここで不比等のことを思い出してください。

 

 

彼は娘の光明子を

聖武天皇にお嫁にやっていました。

 

 

ですから再び藤原氏は

天皇との関係が深くなりますよね!

 

 

こうして藤原氏は、

また力を手に入れたかに思えました。

 

 

しかし、藤原四子は

当時流行っていた天然痘という

病気で全員死んでしまったのです。

 

 

 

 

橘諸兄の時代

〜都はどこにしよう?〜

 

 

四子が死んだ後、

実権を握ったのが橘諸兄です。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は遣唐使で帰ってきた

吉備真備玄昉を聖武天皇に仕えさせて

聖武天皇から大きな信頼を得ました。

 

 

その時、藤原氏の藤原広嗣は

諸兄を「邪魔だ!」と思い反乱を起こしました。

 

しかしこの反乱は鎮圧されました。

 

これが740年におきた、藤原広嗣の乱です。

 

 

 

 

またこの時、聖武天皇は精神的に疲れており、

いわゆるメンヘラの状態でした笑

 

 

そこで「都を変えれば何か変わるかも!」

と考えて都を移していきます。

 

 

平城京→恭仁京(京都)→

難波宮(大阪)→紫香楽宮(滋賀)

 

このようにどんどん都を移していきました

 

 

しかし、聖武天皇は結局

もとの平城京に戻りました笑

 

 

 

 

藤原仲麻呂の時代

〜橘氏とのバトル〜

 

 

諸兄が死ぬと、またまた藤原氏が

政治の中心に戻ってきます。

 

そこで勢力を伸ばしたのが藤原仲麻呂です。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、諸兄の子の奈良麻呂は仲麻呂を

 

「邪魔だ!」

 

と思い倒そうと考えました。

 

 

しかし奈良麻呂は、

逆に仲麻呂に滅ぼされてしまいました。

 

これが橘奈良麻呂の変です。

 

 

その後仲麻呂は天皇から

「恵美押勝」という名前をもらい

これに改名しました。

 

 

また、仲麻呂の時に

東大寺の大仏の開眼供養が行われました。

 

 

 

道鏡の時代

〜天皇を目指したけど…〜

 

 

恵美押勝は、バックにいた

光明子が死んだことで勢力を失いました。

 

 

そこで登場したのが

当時の天皇の孝謙天皇を

看病していた道鏡というお坊さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、押勝は

道鏡が力を持つことを嫌がって挙兵しました。

 

 

しかし、

先に押勝の動きをキャッチしていた

孝謙天皇側に先制され滅ぼされました。

 

その後、押勝は淡路島に流されました。

 

これが764年の恵美押勝の乱です。

 

 

邪魔者がいなくなった道鏡は、

勢力を拡大することになります。

 

 

彼は自分のことを

法王として実権を握っていきます。

 

 

769年には当時の称徳天皇が

道鏡に天皇の位を譲ろうとしました。

 

 

しかしこの動きは

和気清麻呂によって阻止されて、

道鏡は力を失っていきました。

 

 

 

 

藤原百川の時代

〜道鏡を排除!〜

 

 

その後、藤原百川が実権を握り

再び藤原氏が政治の中心に戻ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は道鏡を、

下野(栃木県)に左遷して排除したのです。

 

 

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ここまでが奈良時代の流れです。

 

 

前回も言いましたが、

奈良時代は藤原氏→その他

という感じで担当者が変わっていきます。

 

 

 

 

詳しくはこちら!!

⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎

奈良時代のキーワード 藤原氏→その他とは?

 

 

 

 

奈良時代は受験生が苦手とするので

出題者が出しやすいところです。

 

 

ですからここを押さえておけば

点が取れる可能性が高くなります

 

 

奈良時代を押さえて

高得点を狙っていきましょう!