瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今週のラジオはデッサンと仏教のお話です。
先生:「絵を描くという事を通して世界観が全面的にひっくり返るというミラクルな体験をしてもらおうと思っているの。お釈迦様の言っていたことの本当の意味が一枚のデッサンをすることでわかる。」
年美さん「え
」
先生:「デッサンって何をやっているのかという事を話そうと思うの。ちゃんとそこに何があるのかを見る力が絵を描く力なの。人間関係でそこで何が起きているのかを見抜く力と何ら変わりがないと思っているの。例えばお花のブーケの中にユリやバラやひまわりとかいろんなお花がある。あれを書いてみましょうとなった時に、この花びらは何センチ横にあってその少し上に茎があってというように、どこに何が配置されているかを明確に捉えるのがデッサンなの。
みんなは意外と見ていなくて完成形を取り入れて紙に書くだけなの。1センチ左から茎が出ているなとかみんなは見ていない。私がWEBサロンで美術の教室を毎日流しながらみんな一緒に絵を描いたりしてたでしょ?
出来上がった作品をフェイスブックに載せてって言っていたのは、何がこの人は何が見えていない傾向があるかという心の状態がわかる。」
年美さん:「こわい
」
先生:「だから、下手とかはいいから丁寧に描いてっていつも言っていたの。」
年美さん:「そいういう事だったんですね
」
先生:「そうそう。絵を1つ書く事でこの世の捉え方が全部変わるという意味はそういう事なの。人の絵を見て写す模写というやり方があるんだけど、模写は意外と絵の力はつかないの。模写は10,000枚書いても上手にならない。
なぜかというと、例えば私の模写をしたら、その人は私が書いているところを同じように書いているから絵を描いているつもりになるんだけど、目を書いている事、肩のラインを書いている事の意識がない。形を真似ているだけ。人間の首がこれだけ長いとかの意識がない。模写している人は線を書いているだけなの。」
年美さん:「その通りです。」
先生:「だから仕上がりを見ても間違っているところが見えない。人間の体を書いてないからなの。目の前にあるもの自分が何を見て何を書いてそれは一体どれと同じ長さでどれよりも短くてどれよりも暗いのかというように、そこにある真実を見つけていくのが絵なの。」
年美さん:「それをしたら考えすぎて絵が描けないと思います。」
先生:「それが今の理論がわかると突然描けるようになる。」
年美さん:「書けるようになるんですね!」
先生:「何を見るかがわかってくるっていう事なの。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
デッサンと仏教が繋がっているとは。。。先生が以前全てやり遂げると真理に繋がっていると仰っていた事を思い出しました。
私は立方体が書けないくらい絵が下手です。家から学校までの道順の地図も書けなくて先生に驚かれた事があります。美術が本当に苦手で嫌でしたが、何で自分がこんなに嫌なのかわかった気がします。そして、人との距離感がつかめないのは絵が描けないからなんですね。
私のイメージだと、美術の先生や美術肌というか芸術家の人はコミュニケーション不得意な人という先入観があったのですが違うんですね。小学生の時に絵を描く時間にそう言ってくれたらちゃんとやったのになぁと思います。
デッサン教室でも習いに行こうかなぁ。でもすぐ辞めちゃうんだろうなぁ。このやる気もう少し本気になるまで寝かせようと思います。