ラジオの文字起こしが終わったので久しぶりに自分の事を書きたいと思います。

 

 

去年の8月に転職をして今が3月なのでまだ1年経っていませんが一年以上経ったような感覚です。前の職場は10年ほど在籍していてお局様のようになっていたので、人に気を使うこともなく自分の思い通りに全てが回っていました。今思えば在籍期間が長いという事もあり発言力もあったので凄く気楽に仕事をしていました。

 

私が馬鹿だったのは、転職をすると発言力だったり今までの信頼がなくなり0からスタートするという事を全く考えていませんでした。みんな私が言う事に納得してくれるのが当然だと思っていました。

 

しかし、現実はそうではありませんでした。業種が同じITだったとしても私の知識は前職の知識のため現職には役に立たないし、たとえ私の方が正しいのでは?と思うことでも発言力はその職場に10年いる人の方が強く意見が通らない。。。

こんな事は普通にあると思うのですが、運がいいことに今まで経験したことがなかったので自分の自尊心も自信も打ち砕かれていて去年の9月から12月くらいまで本当に会社に行きたくなくて出社拒否する人ってこんな辛い思いをするんだって気づきました。いい気づきです。

 

出社拒否したかった理由として、何度かこのブログにも書いていますが、仏教を学ぶ前の私に似ている年上の男性がいてその人から業務の引き継ぎをしなければいけないのですが、それが本当に嫌で具合が悪くなるほどだったのと、どうしてもチームに馴染めなかったので退職しようと思っていました。以前の私だったら居心地のいい環境だったと思うのですが、そのチームが朝から報告という名の愚痴が多くて、聞いていて朝から気が滅入ってしまうので退職しようと決意しました。

 

以前の私はお金を追い求めている人だったので、転職先つまり収入源を確保してから辞める事を言っていたと思うのですがお金は働けば入ってくるし、元々働く事は好きなので自分に合う職場に巡り会えたら大丈夫だと思っていたので退職する事を会社側に伝えられたんだと思います。これも仏教を学んだ成果だし、愚痴を言っているチームに馴染めなかったというのも仏教を学んだ成果だと思います。学んでいなかったら、私も彼らと一緒に愚痴を言っていたと思います。

 

そうそう、愚痴というのは仏教の言葉で心の三毒と言われる内の1つで通常漢字で書くと愚痴となります。痴の漢字を分解すると知識が病にかかっているという意味になります。私は今まで愚痴をこぼす人は学びをしようとしない人、つまり知識のないから愚痴をこぼすんだと思っていました。

 

しかし、先月先生から衝撃的な言葉を聞きました。本当の愚痴という漢字は愚癡。つまり疑り深い事。例えば「ゴミ拾いをするといいよ」と聞いたとして愚癡の人は”本当にそんな事をして変化が起きるの?”とか”何か魂胆があるんだじゃないか?”と疑い行動もしなければ真実を見ない人。

 

これを聞いた時、私は疑い深いので愚痴よりも愚癡の方が自分にあっているなと思いました。疑う心が強すぎて愚痴をこぼし相手を不快にさせる。私自身は愚痴をこぼしているのではなく感想を言っているだけと思っているんで本当に周りの人が大変だっただろうなと思います。

 

さて、話がちょっと長くなったので明日続きを書きたいと思います。