瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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今日から新しいラジオ内容で、年美さんが先生の学びのどこに惹かれたのかというお話から始まります。

 

 

 

年美さん:「先生のお話会に行った時にお話されていた内容で『私たちの人生というのは電車に乗るでしょ?電車に乗ったらたくさん人がいるでしょ?それは何もしなければ私の人生のエキストラ。でも、そこで自分が何かを働きかける事によって自分の人生に引き込む事ができるの』って言う事もすごい覚えているんですね。

 

 

”そういうことかハッ

 

 

それも『袖振り合うも多生の縁って言って、たしょうというのは多生って書く。一緒の電車に乗るというのは縁があるということで、その縁を引き寄せるかどうかは自分次第。ちょっと肩が当たって『すいません』っていうのも、自分で縁を引き寄せたってことになるんだよ』っていう事も

 

 

 

”そういうことかびっくりびっくりびっくり

 

 

 

って思ったんです。もっといろんな事があるんですけど見えないものを教えてもらえるという所にワクワクして、見えないものを見せてもらえるというのがいっぱいあって、それに毎回ワクワクしていたんです。」

 

 

 

 

先生:「この間こんな質問をされたの。先生は神はいると思いますか?って。本当に思っていることを言っちゃっていい?って聞いてから、

 

 

 

神なんていないよ

 

 

 

って言ったの。神が人類を造ったんじゃない。人類が想像上で神を造っているだけで神はいない。それは仏教思想家として答えるなら仏教的概念からすると、神というものはこの世の中に存在していない。

 

 

 

 

この世に存在するのは因果の法則だけ

 

 

 

 

全て縁があってモノが生じている。もしも神というものがいるとするならば神さえも縁があって生じた形。だから縁が変われば神も変わる

 

 

全てが平等であるっていう、宇宙・大自然の法則なんで神というものを仏教は造らない。それはそこに平等性がない。神に守られているのであれば、神に守られなければ幸せになれないとか、神というのはそもそも優劣じゃないですか?という考えを東洋思想は持っている。だから神なんてない。ただこの世にあるのは唯一因果の法則だけ。

 

 

その法則を神というのなら神はいる。」

 

 

 

全員:「なるほど。。。」

 

 

 

先生:「年美ちゃん嬉しそう音譜

 

 

 

年美さん:「細胞がワクワクしてるんですラブラブラブラブラブラブ本当にこういう話を聞くことで法則を見せてもらえるイメージができる爆  笑

 

 

 

先生:「唯一この世の中に神として仏として崇めるなら、まぁ、仏というのは違う概念だけどね。でもこの大宇宙の法則を仏という事もあるし、宗派を超えて支配している神がいるとするならば因果の法則。目があって鼻があって口がある神様ではなくて、目に見えないけれども絶対に変わる事なく動いている法則。この法則から何をやっても出られないからね。

 

何があってもその法則の中でしか生きていけない。と、いうことは私たちもその法則なの。」

 

 

 

年美さん:「自然の一部ですものねグッ

 

 

 

先生:「そう。私たちも自然の一部だから。みんな一人ぽっちという概念を持つ。先週の放送で仏教を追求したら孤独がなくなるよと言ったのはそういうことで、我々は何をもっても大自然に所属している。所属感というのは幸せを感じるからね。この大自然の一部。みんな共に生きている自然で、それがさらにどこに所属したいんだろう?なんなら火星でも行きたいのか?って思っちゃう。

 

だから、そういう事をもう少し深いところで納得をすると、孤独感も無くなるし忙しいも無くなるし、あの人はいいなとか比較がなくなるし、本気でつながればね。

 

だから、ほとんどの人間関係の苦しみってもうちょっと深くこの法則を信じると突然楽になるんだけどね。”あ!嫉妬も忙しいも無くなった。あれもこれも無くなった照れ”もうちょっとだけ心を深めるとパッンって”あれ?みんな1つだった音譜”ってなると、そこには静寂なる世界があるよ。

 

これが涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)っていう、煩悩から何から全て手放すと静寂になる。これが本当の幸せといっているの。」

 

 

 

 

今日は時間がないからこの辺でバイバイ

 

 

 

先生の神の概念のお話はとても私の中で納得できるお話でスッキリました。私が高校生の時に、友人が加入している宗教の会合に参加した事があるのですが、そこはその教団の神を信じないと天国にいけないそうで、私は”それおかしくないか?”と思い、当時の私は今よりも思ったことをハッキリキッパリ言う人だったので『では凶悪犯も神を信じたら天国にいけるのでしょうか?』と聞くと『神は慈悲深いので行けます』とその会合の方が仰っていて、”これまた変だな?”と思ったので、『信じていない人は天国にいけないんですよね?』と聞くと『そうです』と仰ったので、”これまた変だ”と思ったので『本当に慈悲深いのであれば、死んだ後に後悔して”あぁ神を信じれば良かった”と思った人にも救いの手を差し伸べるのが慈悲なのではないでしょうか?』と聞いたら後、喧嘩っぽくなっちゃって、その後何を話したか覚えてないけど、帰り際に私が『私が死んだ後地獄に落ちるか自分で確かめます。』って言って帰ったのを覚えています。

 

 

あと、私の中では地獄に落ちても敗者復活戦があると思っているので、死んだ後もどうにかると思ったんですよね。私の持論ですが、天国から地獄に落ちてまた天国に返り咲いた天使はいないけど、もともと地獄にいて改心して天国にいった天使は確かいたと思うので、スタートが地獄って結構いい感じだと思ってて、この考え方も他の人と違うかもしれません。

 

 

なので、今回の先生のお話はすごく自分の中でしっくりきました。私も、人間が神という存在を創り自然が神だと思っていたから。だから、自然と会話ができるようになりたいなぁと子供の頃から思っていて、子供の頃周りの人に言っても理解されなかったのですが、ようやく理解されたような気がして嬉しく思いながらラジオを聞いていました。

 

 

明日のラジオ内容も楽しみです音譜