私が19歳の時に母に言った一言。何でこんな話になったのか覚えていないが、私の部屋のベットに母と二人で座っていた時に言った。その後続けて「私に結婚はしないの?とか聞くのなら、あなたが結婚して良かったと私に証明してください。それができない限り、私に結婚の話はしないで。」突き放すように言ったのを覚えている。母がさすがだと思うのは、その後私に対して結婚の話は一切してこない。「結婚しないならお金を稼ぎなさい。」くらいだ。多分、言ったら私に何を言われるかわかっているからだと思う。
確か父がシラフの時、私が20代前半の頃「お前は好きな人と一緒にいたいと思わないのか?お母さんがお前の年にはもうお前を産んでいたんだ。お前は変だ」と言われたので、「そんな好きで一緒になった人を殴るんだね。私、殴られたくないの。」と言ったら何も言わなくなった。
私には結婚が幸せな事だとはどうしても思えない。ある意味軟禁だと思っていて、さらに自分の事が嫌いな私は、自分のような人間を後世に残してはいけないという変な使命感にかられていたので、子供も産まないだろうなというか産んではいけないと思っていたので、やはり結婚はないなと思っていた。
瀧本先生と出会い、仏教を学んでからこの考えが少し変わってきた。どう変わったかというと、自分が好かれない理由を両親のせいにしているなという事。これは言っている時から薄々気づいていたが、これを言っていいのはかぐや姫のように、多くの異性からプロポーズされている人が言える言葉で、私のように何もされてもいないような人は言う資格もない。全くない。
結婚が幸せではないと思ったり、結婚は軟禁だなぁと感じるのは、確かに両親の影響が大きかったと思う。しかし、プロポーズされるようなというか、一緒にいたいと思われるような人格かどうか、それは私の問題。
なぜこのような事を書いているかというと、薄々気づいていた事が瀧本先生から真解学という学問を学んでいるのだが、私の思考は過去の出来事を悲劇のヒロインをするために利用する癖があるそうだ。何のために?人から同情されるために。。。先生曰く、
同情は愛
なんだそうだ。偽りだけど。偽りだけどないよりあったほうがいい。これはよくわかる。
そして、さらに学ぶと私はどうやら自分が不幸になるような思考の癖があり、それを幸せだと思っているようだ。なんてクレイジーなんだ。でも、それもよくわかる。人から「ありがとう」とか言われると”こいつ裏があるな。騙そうとしているな”って反射的に思ってしまうから、きっとそういう事だろうと思う。こんなヤツ一緒にいたいと思う人がいるわきゃない。
この事が書けるようになったのも、きっと過去と今を区別できるようになったからだと思う。先生の講演会でよく先生が『今を生きる。今を生きなさい。』と何度も何度も<今の大切さ>を仰っていて、その度に馬鹿な私は”今、生きてますよ。だってちゃんと今話を聞いてるしノートに書いてるもん”と思っていたが、ビックリするくらい先生の意図を理解していなく驚いている。
私なりに今を生きるという事を解釈すると、人のせいにしないという事も含まれると思う。私がケンカっ早いのは父のせい。私が空気が読めないのは父のせい。私が笑顔を作れないのは母のせい。私が社交的じゃないのは母のせい。全部遺伝子のせい。が、弟は全く違うので遺伝子の問題ではないのだが、私の脳は性別が違うからとなり、今度は女性で生まれた事をあーでもない、こーでもないと愚痴を言いはじめるから始末が悪い。私が書いている事がわかるなぁという人がいらっしゃるなら、もしかしたら貴方も不幸を幸せだと、同情してほしいと思っているがために、変える事ができない過去を握りしめているのかもしれない。自分なりの何か正当なる言い訳として。
今までいろんなセミナーで、悲劇のヒロインになるな!とか同じような事を言われてきたが、それだけだとわからないので全く納得できなかったが、うまく表現できないが仕組みがなんとなーくわかってきた。そりゃぁ、今までトラブル多いよね
と納得。
今思うのは、私は生きやすくなるための解決方法が欲しかったのではなくて、私の思考の設計図が欲しかったんだと思う。瀧本先生と出会い、仏法と真解学を通じて自分の思考の設計図がようやくわかってきたから過去を手放せたんだと思う。
人のせいにしない人生を歩んできた事がないので、どんな人生になるかわからないので多少の不安はありますが、きっとワクワクする事が起きるのかなぁと思います。
明日からまたラジオ内容をアップしていきたいと思います。1週間独り言に付き合っていただいてありがとうございました![]()