是非皆様に知ってもらいたい事なので、ちゃんとした詳細にわたる情報と、こういうスポット的な記事を挟みながら進行して行こうと思います。
もう最近私の方も色々な情報が頭を渦巻いており、何からお話てよいのかパンクしそうな状態です(笑)毎日のようにお話ていて、まだそんなにネタあるのか?って思うでしょう?そうなんです。それだけ隠されてしまったものが多いから突っ込みどころが満載なわけですよ。
今まで私が少し気にしていた事があってね。そもそも所謂神職でもない自分が、色々な歴史を話してもよいのか?信じてもらえるのか?って思っていた時があった。
でも今だからはっきり言える。関係ない立場でよかったと。
万一私が何かに属していたら、その団体の利害とか、偽物だと指摘をしてしまった時の迫害や不利益を考えないといけないからね。私がな~んも関係ないから思った事が言えるんです。本物は何かわかっていても。じゃあ何でそれが本物なのか?って証明をするためには、被せている名前をそもそも言わないといけなくなる。この名前はすり替えてあり前はこうしたよってね。
私は事実を言っているに過ぎないんだけど(社伝で自ら書いているんだし)知らなかったとか、刷り込まれた現在の情報しか信じない人もいる。なぜ知らないか?そう知らせないようにしているからだよね。
そういう事が何のために行われているか?ぜひ皆様一人一人が考えてもらいたいなと思うのです。自分たちの自然に崇拝するようになった神々を奪い取られて私たちは嬉しかったのかな?どうでも良かったのかな?とぜひとも思い出して頂きたいところです。
僧侶の方々から頂くコメントをまとめると・・・。
【寺は打ち壊され、仏像も叩き割られたり、祀ってるある場所から引きづり降ろされたりした。村人たちが仏像を抱きしめて守った。村に自分達で祠を作って仏像をしまって保護した】等々
歴史の教科書を見てください。何故キリスト教の踏み絵ばっかり掲載されているの?
このひどい有様をクローズアップしないのはやはり記紀が日本の歴史ベースになっているからと言われてもしょうがないですよ。
日本書紀が誰の為に作られた本か?知っていれば答えはすぐにわかります。
そうその為に都合よく書かれたと考えるとこの情報の扱いの不平等さも見えてくると思うのです。
彼らは十一面観音を引きづり降ろしました。その件について別ページで掘り下げてきます。