昨日に続きみずほのシステムトラブルについて書くことにしよう。

 

 

では、みずほはどうすれば良いのか、どうすれば良かったのか?

 

この件も、いろんな「識者」がいろんな分析をしていろんなことを言っているが、「どうすれば賃金が上がるのか?」「持ち家と賃貸どっちが得か?」と同様で、もう答えは明らかなのに歯にものが詰まったような見解になる。大メディアでは堂々と言いにくいのだろうか?日本企業はみんな似たり寄ったりのところがあるからだろうか。

 

結局みずほがやらなければいけなかったのは、不要なものを切り捨てること、だ。断捨離だ。

 

これはどこでも書いていることだが、三行合併時にシステムは一つに寄せなければいけなかった。三つのシステムを相互に繋ぐというヒドラのようなシステムを作ることになりシステム界のサグラダファミリアと呼ばれた、永遠に終わりのない地獄が始まった。強引に終わりにしたり「MINORI」にしたりしたが、無理だ。根本がここから始まっているのだから無理だ。

 

なぜこうなったかというと、三行がそれぞれ違うITベンダーを使っていたため、政治的にどこも切り捨てられずヒドラ作成と相なった。せめて二行に寄せられていればここまでにはなっていなかったと思う。リテールもやっていない興銀のシステムをざっくり切り落として整理すれば良かった。しかしそこは護送船団方式の世界では大蔵省の次に偉かった興銀のおじさんがプライドで残したのだろう。システムなんて何も見てない、関係ない、寧ろ見下していた「バンカー」の興銀おじさんが頑張って今のみずほを創った。

 

銀行の店頭にあえて行きたい人など、時間を持て余している老人以外にいない。

携帯のアプリに全ての機能を移行しスマホ前提で考える。使えない人には店頭でスマホに入力させる、そのサポートをする人員を配置するようにしないといけない。何故スマホを使えない人用に多くの店舗を抱える必要があるのか?切り捨てが足りない。

 

携帯間で無料で個人間で資金をやり取りさせることなど数年前からシンガポールではできている話だ。3万円以上とか意味のない区切りも撤廃できず、いつまでも妙な送金手数料でちまちま稼ごうとする。データベースのデータ付け替えだけに何百円も徴収する詐欺的な手数料を設定するより、そこをさっくりタダにして町からATMを半分撤去した方がよほど利益率が上がる。あの古びて使いにくいATMをなかなか切り捨てられない。

 

銀行の役割はもうそこには無い。テクノロジーも無ければ一番優秀な人材もいない。居ても使いこなせない。動きも遅い。銀行に残るのは「信用」だ。お金預けておいたら無くなっちゃったとか、ATMで現金下ろしたら少し足りないとか、そういうことが無いのが銀行に残る強みだ。いくらIT企業が便利なものを作ってもここは奪えない。それを見つめ直したビジネスモデルを作るべきなのである。