人の性格と言うのは様々ですが、それが生まれつきのものなのか、後天的にその後の人生で形成されるものなのかは諸説ある所です。

もちろんどちらもなのでしょうが、得てして後天的なもので人は判断しがちだと思います。例えば、家柄だとか学歴で判断しがちなのもその一種でしょう。東大だから~な人、慶應だから~な人なんて言うのは、血液型くらい根拠のないものでしょう。

ただ、アメリカのMBAを取って帰って来た人の変わりっぷりには驚きます。「教育=洗脳」のすさまじさを感じるものです。その前に何の仕事をしていた人も、みんなコンサルと投資銀行に行きたくなってしまうのです。そしてどの大学に行っても愛行心を植え付けられ、その学校のTシャツを着ます。

職業もかなり人格を形成する手伝いをしています。カネも地位も人を変えてしまいます。リーマンショックの前の投資銀行員などはその典型でしょう。祭りが終わって我に返った人も多いでしょうし、未だに夢から覚められない人もいます。

さて、自分も後天的要素が大きいと考えて来たのですが、実は「性格」と言うのは生まれつき多様性を持つようにプログラムされているのではないかと思うようになりました。それは、こんな話からです。

アリの一部がサボって一生働かない事があるというのは以前書きましたが、これはDNAが意図的にそういうアリを一定確率で発生させているようなのです。なぜそんなアリに存在意義があるのか?これには面白い理屈があります。

働き者のアリがあくせく動き回って餌を見つけたとします。そのアリは、他の働きアリが餌にたどり着けるように地面に匂いをつけて巣に帰ります。他のアリは、最初のアリがたどってきた道を忠実に進むことで餌と巣の間を往復します。こうしてアリの行列ができます。

一方で怠け者のアリはその行列に参加しません。しかし、怠けてぶらぶら道草食っているうちに時々そのアリが、今ある行列よりも近道を見つけることがあるのだそうです。それがわかると行列がそちらに移動して、より早く餌を巣に運べるようになったりします。

ハチの例もあります。ハチの巣は温度が上がるとさなぎが死んでしまうため、巣にいるハチが羽ばたきをして温度を下げます。ある実験で温度が上がって来るとすぐ対応する働き者のハチの集団と、怠け者が含まれている集団を比べてみたそうです。

温度が上がって来ると働き者集団は一斉に全員で羽ばたき始めます。温度は下がるのですが一斉に行動する為、何度も温度が上がって来るとまた一斉に疲れてしまうのです、ある時点でそのコロニーは死滅してしまったりします。

一方のコロニーは働き者が羽ばたき始めても怠けものは無視しています。しかし、働き者が疲れ果てて温度が下がらなくなってくると、仕方なく怠け者が羽ばたきだします。その間に休んだ働き者は体力が戻ったところで復帰します。図らずも分業が成立するのです。

実際の会社では、怠けている人がいても何の役にも立たないし、早くクビにするべきだという人もいるでしょうが、怠けて平気、と言うのはもしかしたら先天的なものなのかもしれません。同種の生き物の中でも性格の多様性を持たせるのがDNAの想定しているものかもしれませんので。

というわけで、生真面目だったり楽天的だったり、ずぼらだったり几帳面だったり、こういったものは生まれ持ってきたものの可能性が結構あるのでは無いかと思われます。

ただ、制度的に一部の世代だけが楽しても大丈夫な仕組みは不健全です。人の性格とは関係ありませんからね。