新年に向けて… 信仰の浮気者に祝福は来ない | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

クリスマスも終わり、ついに今年も終わろうとしています。

 

 

サンタクロース、クリスマスケーキ、プレゼントなどでクリスマスをお祝いした後、やってくるのは大晦日、新年、初詣です。

 

 

 

初詣といえば、恐らくそれほど宗教深くない人でも、一度は行ったことがあるのではないでしょうか?

 

 

 

大晦日の夜から人混みでごった返す神社で、寒い中待つ人もいます。

 

 

 

しかし、初詣の本来の意味をよく知らず、なんとなく縁起がいいからと神社に足を運ぶ人もいます。

 

 

 

 

初詣とは、新しい年が明けて初めて、お寺や神社へお参りすることです。

 

 

 

初詣の由来は平安時代の「年籠り(としごもり)」という風習から来ていると言われています。

大晦日から元旦にかけて氏神のいる神社にこもり、新しい年の豊作や安全を夜通し祈願するという風習です。

 

 

 

氏神とは、その土地に生まれた者や住む者を守る神だそうです。

 

 

 

 

やがて、年籠りの風習は大晦日にお参りをする「除夜詣」と元旦にお参りをする「元日詣」の2つに分かれ、その後、時代の流れとともに簡略化され元日のお参りだけが残り、人々は交通網の発達により、氏神にこだわらずに好きなお寺や神社にお参りに行くようになりました。

 

 

 

ちょうど、仏教の宗派などよく調べず、「恋愛の神」「健康の神」「学業の神」など、自分の願い事によって神社を変えるのと同じ感覚です。

 

 

 

 

初詣に行く期間は、仏や氏神がお寺や神社にいるといわれる期間、つまりお正月の松の内の期間(関東は1月7日まで、関西は1月15日まで)に行くのがよしとされています。

 

 

 

 

それ以降に行っても神や仏はいないので、意味がないからです。

 

 

 

 

真の神は、

 

 

「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。」(‭‭使徒言行録‬ ‭7‬:‭48‬‬)

 

 

「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記‬ ‭1‬:‭9‬‬)

 

 

 

 

と聖書に書かれているように、一つの場所に留まるのではなく、全ての場所に存在します。

 

 

 

 

 

 

更に、初詣といえばおみくじです。

 

 

おみくじは、仏や神の意向をうかがう神聖な占いの儀式の一つとされています。

また、仏や神からメッセージやご利益をいただくという意味もあるそうです。

 

 

 

この占いは、私自身も経験したことですが、当たることもあれば、当たらないこともあります。

 

 

 

つい最近、若くして旦那様を癌で亡くされた女性のブログを読みました。

旦那様は亡くなる年に2回おみくじを引いたそうですが、病気については、どちらも「生命に関わることはない」と書かれていたそうです。

 

 

 

 

当たらないおみくじ、占いなどについて、聖書では以下のように書かれています。

 

 

 

「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。 これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。」(‭‭申命記‬ ‭18‬:‭10‬-‭12‬‬)

 

 

 

「その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」(‭‭申命記‬ ‭18‬:‭20‬‬)

 

 

 

 

「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。」(‭‭申命記‬ ‭18‬:‭22‬‬)

 

 

 

 

 

私たちは、どうして当たるかどうかも分からない占いなどに、時に高いお金を出すのでしょうか?

 

 

 

 

ところで、このおみくじは引いたあと、持ち帰ることもありますが、木に結ぶ人が多いです。

 

 

 

これには、「仏や神との縁を結ぶため」「木の生命力にあやかって願い事が実を結ぶように」と言った意味があるそうです。

 

 

 

 

真の神との縁は、紙切れを木で結ぶことでは生まれません。

 

 

 

 

「神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。」(‭‭テモテへの手紙Ⅰ‬ ‭2‬:‭5‬-‭6‬‬)

 

 

 

 

とあるように、私たちの罪を十字架状で償ったイエス・キリストだけが私たちと天の神とを繋げてくれます。

 

 

 

 

木の生命力とありますが、木が生きているのは、創造主の神が木々に命を与えるからです。

 

 

 

木自体に、何のパワーも無いのです。

 

 

 

 

 

全人類のために命を捧げたイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、サンタやプレゼントが中心となり、まるで主役のいない誕生日パーティーのように祝われています。

 

 

 

それが終わると人々は、クリスマスのことなどすっかり忘れ、今度は自分に都合のいい神のところへ行き、新年のご利益を祈ります。

 

 

 

 

信仰の浮気を繰り返す人に、本当にご利益や祝福が訪れるのでしょうか?

 

 

 

 

「主は逆らう者に遠くいますが 従う者の祈りを聞いてくださる。」(箴言‬ ‭15‬:‭29‬‬)

 

 

 

 

 

新しい年を迎えると共に、一人でも多くの人が真の神であるイエス・キリストを迎え入れ、祝福と喜びに満ちた年となりますように。

 

 

 

 

アーメン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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