07/11/17 紅葉も散る頃に~山奥の廃木橋を求めて~  後編 完結 | 東北式鉄写録 ~更新停止~

07/11/17 紅葉も散る頃に~山奥の廃木橋を求めて~  後編 完結

前回までのあらすじ。


仙台市に眠る、とある遺構の踏破のために、東北式と隊員Rは大倉ダム上部にある某所に訪れた。


とても歩きやすい平場をグングン進んでいく。


紅葉に見惚れつつ、私達は見覚えのある切通に辿り着いた・・・・・。



また、当記事は前編である 07/11/17 紅葉も散る頃に 前編  こちらを読んでから読んだ方が、話の流れは掴める事でしょう。





来るぞ。


コレは、来るぞ。


ついに来たぞ。


カメラの動画モードをセットし、それを持ちながら近づいていく。


来る。


来る。


来る。



※臨場感を出すために、動画をご覧ください。音声は、私の喜びの声が余りに気持ち悪かったので消してあります。









キター!!


来ちゃったー!!

二人で「すげぇ、すげぇ」と壊れたレコーダー状態。


これはマジでヤバイ。


かっこよすぎる。


なんてことだ。


本当にあるとは。


こんなものが、仙台市青葉区に。


やっちまった。


凄すぎる。


しかし、空気が読めない仙台市は橋の端を切り落としていた。


コレは頂けない。


本当に頂けない。


切り落としたのは、私のような奇特な連中が危険なこの橋の上に登らない為らしいが、とても悲しい。


なんで、切り落とす。


こんなに良い物件なのに。


それだけが残念だ。


勿論、登ることができない。


出来ない筈だ。


筈だ。



しかし、数分後。





※撮影:隊員R




登ってしまった。


当時、腕力とか背筋とかがまだ残っていたらしい。



俺は橋の上にいた。


恐怖は不思議と無かった。


ここでカッコつけるなと思われるかもしれないが、本当に恐怖は無かった。


ただ、先に進みたかった。



主梁を進んでいく。


何といっても、本当に枕木が怖い。


この上に足は置けない。


バランス崩す。


主梁は頑丈で、私程度ではびくともしない感じであった。


そりゃ、何十年も前はこの橋を森林軌道が走ってたんだもの。






※撮影:隊員R

一本目の橋脚を越え、更に進む。


余りに橋が高いため、私が何処にいるのか?




※撮影;隊員R

馬鹿がいます。


そう、今回のレポは


定義森林鉄道跡踏査~山奥の廃木橋を求めて~


であります。


某所の情報に寄れば



名称、定義(じょうぎ)林道。

区分、2級(森林軌道)。

竣工、昭和13年。 廃止、昭和35年。

延長、113000m。

廃止時期も相当古い。


そんな軌道跡を巡る。





さて、私はまだ橋の上に居た。



振り返ってみる。


う~ん、惚れ惚れする。



とうとう四つん這いになりながらも、三本目の橋脚にたどり着く。

足をブランブランさせながら、眼下の大倉川の青々とした流れに癒される。



でも、ここに来て、ようやく、「あっちには渡れないな。」と確信した。


中途半端に切り落とされた主梁がバランスを崩しているように見えたからだ。


万が一行って、崩壊して、落ちたとしよう。


下は水だが、3メートルも5メートルも深さがある淵ならまだ助かるかもしれない。


しかし、ここはせいぜい1メートルちょっとの水深。


落ちたら骨折で済めば万々歳。


ビル数階分の高さではどうしようもない。


更に、カメラ、携帯等の機材もオジャン。


加えて、個々最近の冷え込みによって水温も激しく冷たいと予想できる。


まぁ、そもそも崩壊したら、その木材で死亡しそう・・・・。


こんなところで死ぬつもりも怪我するつもりも無いので、結局、すごすごと撤退。



安全を全てに優先する。


自分がダメだと思ったら、撤退する。


一足早く下の大倉川の川原に降りたRがしきりにこっちに向けてシャッターを押しているのを確認しながら、今さっき来た橋の上を帰ってくる。




砂防ダムに真っ赤なモミジが綺麗だ。


それにしても、ここ、綺麗だ。


それでも、仙台市青葉区である。


橋台。


約半世紀、ここに根を張っていたのだ。


さて、無事、地上に降り立った私は急いで大倉川へと降りていく。



橋の全貌である。


私は、一番高い橋脚の上まで行ったことになる。


まぁ、それ以上行くと、あのアーチ部分。


両端が仙台市によって切り落とされているので、特にアーチ部は危険である。


降りた頃には隊員Rは川を渡る準備をしており、私はとりあえず、橋に近づいてみる。



橋を見ながら惚れ惚れしている背後で、Rは川を渡り始める。


私も川を渡って、また橋の下に行く。



雲ひとつ無い青空に、朽ちた廃木橋。


枕木はばらばらにはなっているが、それもまた気持ちいい。


なんていい日だ。

ここから再び軌道跡に戻る。


石垣がはっきり見えていたので、そこ目掛けて登る。


途中、小さな沢の流れがあったが、ひょいと飛び越える。


さて、石垣まで登りきる。


この上を、森林鉄道が走っていたのだ。


森林資源を運んで。


早速、橋の反対側を拝みに行く。




午後の日差しが、橋を照らす。


ちなみに、この場所は、あと数メートルで崖である。


落ちれば川まで真っ逆さま。


ここでも暫く佇み、先へと進む。



橋の跡であろうか?橋台らしき遺構が残る。



オマケに上に枕木らしき木片まで乗せるという心遣いもたまらない。



石垣も随所に現れるため、飽きることも無い良い廃線跡だ。







午後の気持ちいい紅葉の林の中を、綺麗な軌道跡を巡りながら、テクテク歩いていく。


犬釘が刺さったままの枕木も落ちている。


橋を渡ってからというもの、軌道跡には綺麗にほぼ等間隔で枕木が残っている箇所が何箇所もあった。


レールこそ引き剥がされているが、こういう軌道跡を思わせる遺構がまだ残っていることに喜びを感じる。


森林鉄道跡数あれど、本当に平場が続いているだけのものもあるのだから、枕木があるだけでもかなり嬉しい。


この写真の辺りから、山の陰になり、一気に暗くなる。


山間部で、11月の低い太陽、もうここには光が届かない時間になる。


すぐに、第二橋梁が現れた。




半分だけ姿を残し、しかしまだそこに立ち続ける。



反対側に渡る。


小さな沢であったから、特に支障なく渡れるであろう。


画像下部にある物に気が付いたであろうか?


かつて、橋脚を支えていた基部であろう。


何回もの大雪や洪水、地震などの自然災害に耐えながら、何十年もココに立っていたのだろう。


そして、かつて現役だった頃、この橋の上にはレールが敷かれ、更にその上をトロッコが走っていたのだろう。


切り出された木材を麓まで運んでいくという重要な使命を負っていた森林鉄道。


その残骸は、今も青葉区の山奥で眠っている。


ここの辺りから軌道跡は急激に荒廃が進んできた。


というか、崩落に続く崩落で、元の路盤など見えようも無い状況が重なり出し、ついに難関が訪れる。


実は、我々が進んできた路盤というのは、殆どが石垣の方面処理の上に成り立っていたようなのだ。


そのため、路盤と分るような平場が今でも健在なのだろう。


しかし、この崩落箇所は、石垣もろとも押し流して、すり鉢状の崩落地帯を形成していたのだ。



どうにか通過出来ないかと上に登ってみる。


3メートルほど木などを頼りに登り、ルートを探す。



しかし、どこを見てもすり鉢上で、石を落とそうものならそのまま川の方まで落ちていくような箇所だ。


危険だ、無理に行くのは禁物である。


さて、登ったは良いけど、また降りるのは・・・・・ちょいと怖いぞ、これ。


慎重に慎重を重ねて降りて行くしかない。


一方のRは川方向への降り口を探し、そちらからのアプローチを仕掛ける。


どうやらそっちは行けそうだ。


帰ってきてから調べてみたら、先人達も川からのルートでここの崩落箇所を乗り切ったようだった。


どうやら、正解は下からのアプローチであったようだ。


隊員Rは、ダテに登山経験がある男ではない。


私のように取り敢えず行け行けという感じではなく、少し考えて歩いている感じがする。


そんな経験者だから今回の踏査も誘ったのだが。


さて、この崩落地を切り抜け、ほっと一息かと思いきや、軌道跡はますます荒廃の一途をたどり、それこそ歩けば石が落ちて、川にドボンドボンと音を立てたり、足場が靴の幅ほども無いと言った状況になる。


そして、とうとうやられた。


見えてしまった。


もう無理。


そんな箇所が見えてしまった。


大崩落。


画像右、岩肌がむき出している。


しかし、確かにあの斜面に軌道があったことを伺わせる遺構がある。


気が付いたであろうか?



分かるであろうか?更に寄ってみる。


分ったであろう?


石垣が見える。


このことから、そこに軌道があったことが推測される。


しかし、再び軌道跡に戻るには、少なくとも二回は川を渡る必要性が出てきた。


ここは丁度、川のカーブの外側に位置し、現在いる場所から崩落地にかけて深そうな淵になっているのだ。


そのため、一旦対岸に渡り、河原を歩き、再び渡れそうな場所から軌道跡にアプローチを仕掛けないとダメそうであった。


このように軌道跡へのリカバリーは困難を極める。

素晴らしき廃物探索の先人達でさえ、あの崩落箇所は川からのアプローチで回避せざるを得ず、困難だったと伝えられている。


この先にあるという、インクライン跡まであと少し。


日没時間から考えて、折り返し予定時刻まで1時間を切っていた。


隊員R は「行くなら先輩だけでお願いします。待ってますから」と言い、行けないと言う意志をしっかりと示してくれた。


行きたい気持ちもある。


だが、安全を考えると、少々、荷が重過ぎる。

山間のため、太陽の光はもう来ない。


時間も、余裕があるというほど残されてはいなかった。


「ここで引き返そう」。私は決断した。



ここにて、我々は撤退することにした。


初心者である人間が、鼻歌歌いながら来れる最深部であると思う。



あと、この折り返し地点付近、実は軌道は地面を這っていなかったようである。


あまりまともな写真が撮れなかったのだが、何となくは分かってもらえると思うから画像も載せる。





今まで地面だと思っていたところは、実は木製桟橋の上に土砂が堆積して出来た土地だったのだ。


つまり、軌道はその桟橋上を崖ギリギリを走っていたことになる。


凄い、凄すぎる、森林鉄道。


だって、こんなところに桟橋作って、その上にレール渡して、トロッコ走らせてたなんて。


殆ど崖のようなところである。


あぁ、最後にこんなものを発見できて良かった。


インクラインや終点を拝むことは出来なかったが、それでも満足である。



これより、撤収開始。

来た道を戻る。




先ほどやり過ごした崩落箇所も、登りより降りの方が怖かった。


第二橋梁から沢沿いに行くことにした。


それにしても、撤退途中、登山経験者の話の一辺を聞いて、ほほうと感心した。


この手の軌道跡めぐりと登山道との違いがあると言う。


「コレは無理だろ」という箇所でも登山道は何かしらのヒントや助けがあり、どうにかして突破できるのだという。


しかし、こういう軌道跡などの廃物はそうは行かない。


今回のように行けないという箇所は、本当に行けない。


それだけ、冒険なのだろう。


そんなギリギリというか、冒険な雰囲気が私の心を捕らえているのかもしれない。



大木製橋梁まで意外とすぐに着いてしまった。


だんだん日が傾いて、谷の中は日が当たる部分とそうでない所とのコントラストが強くなってきた。



再び砂防ダムから渡った。


ここで少し休憩を取り、私達は再び橋に見入った。

再び軌道跡にリカバリーする。



最後に、光線がまた違った橋を撮ってCFは満タンとなった。


これにて、第一回定義森林鉄道踏査レポを終了する。


木製橋を拝んで、大満足の帰還である。


また訪れるその日まで、その姿を保っていてくれ。



完結