ハービー・ハンコック、withコロナに必要なもの | 新時代思考記

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令和の時代も考え続けます!

へぇ…。こういうジャズもあるんだ…!ハービー・ハンコック「HEAD HUNTERS」(1973年)というCDをブックオフで買い、初めて聴いてみたのだ。なにやらコルトレーンとかとは、ちょっとどころか、かなり違うジャズなのである。マイルスとも全然違う。言ってみれば、スタンダードなものから外れていて、もしかすると正統とは言えないものかもしれない。(何を以て正統かという話でもあるのだが。)しかし、それでも非常に面白いジャズだと思った。ジャズは奥深し。知らなかった、こういう世界もあるってことを。

 

 

駅前のブックオフには行ったが、今日の私の行動はそれくらいだった。相変わらず、感染には気を付けている。いつものように、積ん読にする本も数冊、また買ったのだが…!懲りない者だなぁ…。

今年の夏は、何やら特別な夏、ということ(らしい)。…とはまるで、「今年だけ」のように東京都知事は言うのだが…、であれば、来年の春や夏は大丈夫かというと、そうという保証も全然ない。東京オリンピックについても、その他においても、大丈夫だという保証は全く何もないのだし、逆に、保証出来る訳もないことなのだ。

例えば、小説のようにテレビドラマのように、この先どうなるのかが、或る程度でも分かってさえいれば、人々は不安になることが少なくて済むのだが、現実はそういうことではないのだ。言うまでもないことだが、分からないから不安になるもの。誰しも「成るように成る」としか言えない。残酷なる現実を目の前に、現代文明や現代科学の力、人間による五感を超えた知見や予言、いわば超能力と言われる能力、などというものすらも、完全に無力のようだった…。そういう印象を持ってしまった。

 

少しでも自分が「善い」と思うことを実行してゆく。手洗い・うがい・マスク着用、という行為も簡単なことだが、そのことはまず自分を守り、引いては他人をも守ることに繋がる。とすると、今後も善行をなるべく積んでゆくことだろうか。

日本では緊急事態宣言発令の際においても、法律の関係上、店舗の休業などの「強制」は出来ないらしい。全ては「要請」止まりなのである。

そうすると「善いか悪いか」という個々の倫理観が、今よりも更に重要になってゆくのではないか。そこには「強制」などという法律の有無は関係がない。

ウイルスと共存しなければならないという社会…。

日本の底力というものを、これからは見る気がする。