育英公院


今日はちょっと休憩。

表題の育英公院について。
知っている人はかなりの朝鮮近代史通。
朝鮮で、1886年(明治19年)に建てられた官立学校で、良く朝鮮の近代教育なり近代化の試みなりの証拠として出てくる学校ですね。
何の史料に基づいてるのかは知りませんが、李完用が1886年に入校したとか、「朝鮮亡滅」の著者でありハーグ密使事件にも関係していたH・B・ハルバートが先生だったという事も、良く言われています。

で、それに関する史料の紹介です。
関係ない事項についても記載がありますが、それなりに面白い話もありますので、最後の朝鮮閣僚等のリストを除いて一応全部テキスト化してみます。
それでは、『駐韓日本公使館記録3』から、1894年(明治27年)『在京城帝国公使館通常報告第1号』より。

通常報告2通常報告1
通常報告4通常報告3
通常報告6通常報告5
通常報告8通常報告7

27年通常報告

在京城帝国公使館通常報告第1号

昌原金礦採掘の件

去る明治24年中、朝鮮政府の許可を得て長崎県人馬木■三と当国人前昌原府使趙義淵との間に■約を結びたる後、馬木は金主古河市兵衛と共に該礦採堀に従事したるも、其結果面白からざるより、古河は馬木に向て解約を主張し、終に一と先中止と相成り居たるに、其後馬木は切に金主を求めんことを欲し、客冬当地に参り独逸商世昌洋行と相談を開き、此程良や熟議を遂げたる由申居り候。
尤も、本条約は1ケ月間程試掘を為したる後、果して善良と見認めたる上之を訂結する相談なりと云へり。
又、世昌洋行は金主の名義なれども、其実採鑛権は譲り渡したるものにして、馬木は始めの間一ケ月500円■■■■、漸次増加したるときは之に準じ其幾分を貰受くる予約なりと申居候。

育英公院廃止の件

該院は米国人を聘用し、去る明治19年中朝鮮政府の設立する所にして、英学を教授する唯一の学校に有之候処、其設立の当時に当つては専ら貴族の子弟を教育し、其就学生徒の数も殆んど300人ありたるも漸次減少し、即今に至りては僅々20余人に過きず。
而して、最早年所を経ること7年に及べ共、1人の卒業生を出さず。
斯くては学校設立の本旨にあらずとの議論此程政府部内に興り、一と先づ廃校の事に決し、雇教師米人バンカー氏も解雇となりたり。
聞く処に拠れば、当路者は此後時機を見計らひ、更に厳格の校則を設けて復設すべしと申居れり。


陸軍教師解雇の件

去る明治20年頃、親軍兵訓練の為め当国政府の聘に応じ来りたる米人ニンステッド氏は、親軍侍衛営兵士の訓練に従事すること7年。
此頃其任期満ちたるを以て、■■■■■此程漸く十数月間滞りたる俸給を受取りたる由なれば、来月中旬頃出発して一と先日本に転留する見込なりと■り。
因に■同教師米人ゼネルダー氏も期満次第帰国の望を抱き居る由なれば、同人解雇の上は一人の外国教師もなき筈なり。

南廷哲氏北償金の剰余を私用す

前督弁南廷哲氏は、客歳8月中払込むべき北償金6万円の中、1万円は交換の上紙幣にて之を渡し、5万円は韓銭を以て1円に付き韓銭3貫600文の割合にて其筋より受取り、其内2万円は統署にて交換取計■■■、当方に支払ふべき所、其実当時の相場は、3貫3、400文にて交換せられたるを以て、右3万円に対する余剰金韓銭数万両は、同氏の私用する所となりたりとの事王聞に達し、目下国王には厳命を同氏に下し其返納を促せらるやに聞けり。

雑聞

一.目下本邦駐箚代理公使兪箕煥氏より、先き頃閔泳煥氏の許に書面を送り、金嘉鎮と金玉均との間書柬の往復を為し居れりとの事を誣告したる由にて、金嘉鎮氏と別懇なる某は密かに此事を同氏に告けたるを以て、同氏は事の意外なるに驚き頗ぶる迷惑を感じ居候。
一.此頃閔族間に、日英清の三国協議して朝鮮の政事を改革すべしとの風説を為すものある由にて、為之政府内部の人々には陰に危懼を抱き安ぜざるの傾きありと云ふ。

朝鮮政府現任京秩官及地方官

 (以下省略)
冒頭述べたとおり、最後の現任の朝鮮閣僚等のリストについては役名と人名だけなので省略。
で、太字の所が今回のメインディッシュなわけですが、メインなだけに後回しにして、先に他の項目についてやっちゃいたいと思います。(笑)

ってことで、まずは「昌原金礦採掘の件」。
1891年(明治24年)に朝鮮政府の許可を得て、馬木さんて人が当時の昌原府使趙義淵と契約結んで、金主の古河市兵衛と共に金鉱採掘事業に乗り出した、と。

ちなみに、『駐韓日本公使館記録3』の中では「馬木健三」と「吉川市兵衛」になってるんですが、史料画像見てもらえれば分かる通り、「健」については「にんべん」ではなく「ぎょうにんべん」ですので、■に。
「吉川」については、「馬木に向て解約を主張」の前の川が明らかに「さんずい」の河で、「吉」の方は「古」に見えるから。(笑)
ぶっちゃけ当時の朝鮮に投資できるだけの事業家って、古河財閥の古河市兵衛じゃね?と思うわけですが。
ま、それは憶測ですけど、文字については「古河」だろう、と。
学者なら(ママ)で対処するんでしょうけどね。

兎も角、採掘始めたのは良いけど良い結果が出ない。
ってことで、古河は馬木に解約を迫って事業一旦中止。
馬木は金主を欲して、こないだの冬に京城に来て、ドイツ商の世昌洋行と談判して良い方向で結果が出たみたい、と。
余談ながら、この「世昌洋行」ってのは「Edward Meyer&Co.」という会社で、1886年2月22日付「漢城周報第4号」に朝鮮で最初の公告を出した事を初め、地味に史料に良く出てくる会社だったりします。

世昌洋行の広告
[ 朝鮮初めての広告 ]

ウチんとこでも、2006年の7月2日のエントリーで名前が出てきています。
尤も、そん時は密輸絡みの話ですが。(笑)

で、馬木と世昌洋行との談判は、1ヶ月ほど試掘して良い結果が出れば契約締結って事でまとまったという。
そして、世昌洋行とは金主の名義だけど、実質は採掘権を譲渡したもので、馬木は最初の1ヶ月500円で雇われて、その後採掘が順調に推移すればそれに応じた報酬を得る約束だと言ってる、と。
つか、1891年の段階で既に外国人に採掘権とか挙げちゃってるのね・・・。
しかも、この記述見る限りは、どういう契約してんだか、と。(笑)

では、続いてメインの「育英公院廃止の件」を飛ばして「陸軍教師解雇の件」。
1887年頃、親軍兵訓練のために朝鮮政府に聘用されたアメリカ人ニンステッドは、親軍侍衛営の兵士の訓練に従事して7年になるけど、最近任期満了になったので辞職し、十数ヶ月滞ってた給料と受け取り、来月中旬頃に朝鮮を出発してひとまず日本に行く予定。
同じくアメリカ人ゼネルダーも、任期満了後は帰国したいと思ってるようなんで、彼が解雇されれば外国人教師は居なくなる筈、と。

つうか、また給料未払いしてるんですか。(笑)

ちなみにニンステッドは、結局日清戦争後の1894年(明治27年)9月頃に再び朝鮮政府に雇われる事になり、最終的には「春生門事件」に関与したとして解雇されます。

続いて、「南廷哲氏北償金の剰余を私用す」。
北償金ってのが何か良く分かりませんが、日本に8月中に支払いしなければならない6万円のうち、1万円は交換済みの紙幣で、残りの5万円は韓銭で1円当たり3貫600文換算で南廷哲に渡されたんですね。
で、その韓銭で渡された5万円のうち、2万円は統署、つまり外務省みたいなとこで交換してもらったから良かったんですが、残りの3万円分について、当時の相場が3貫3~400文だったので、為替差益じゃないですけど差額が出たんですね。

元が3貫600文換算で、相場が3貫3~400文ですから、1円につき200文~300文の差額。
3万円分ですんで、6,000,000文~9,000,000文。
当時の朝鮮の貨幣単位は「1,000文=100銭=10両=1貫」ですから、6万両から9万両になり史料中の「韓銭数万両」は6~9万両になります。
ちなみに、もう一度日本円に直すと2,000円前後。
結構な額ですな・・・。

その結構な額を着服。(笑)
高宗にバレる。
カエセ!<#`Д´> と厳命してる由、と。
んー、何かいつも通りの光景で、何だか安心する。(笑)

次ぎに、一番下の「雑聞」。
まず、日本駐箚の兪箕煥代理公使から、この前閔泳煥のところに書翰が送られ、金嘉鎮と金玉均との間で手紙のやりとりしてるらしいと誣告があったようだ、と。
で、親しい人からその事を聞いた金嘉鎮は、根も葉もない話でビックリし、非常に迷惑を感じている、と。
下手すりゃ失脚で済まない陰謀だ。(笑)

もう一つが、最近閔氏の間で、日本・イギリス・清国の3ヶ国が協議して朝鮮の政治改革をする噂を流すヤツがいて、そのために政府部内では暗に危惧の念を抱いて不安がる傾向、と。
まぁ、朝鮮の政治改革=閔氏の失脚ですからねぇ。(笑)

ってことで、何かオードブルが非常に多くてお腹いっぱいなんですが、次がようやくメインディッシュの「育英公院廃止の件」です。
育英公院はアメリカ人を雇って、1886年に朝鮮政府が建てたもので、英学を教える唯一の学校だったけど、設立当時は専ら貴族の子弟を教育し、その就学生徒数も約300人くらいいたけど、徐々に減少して、最近では20人余りしかいない、と。
で、もう7年も経ってるのに、1人の卒業者も出してない。

近代教育でも近代化の試みでも良いんだけど、卒業者居なきゃ意味ねぇーだろ!(笑)

器や見せかけは整えても、中身は全然駄目ないつものパターン。
まぁ、貴族の子弟中心なんで、卒業前に官職について学校辞めたヤツもいるでしょうし、遊び惚けて学校行かなくなったヤツもいるんでしょうけど、1人も卒業者出ないって、ねぇ?(笑)
しかも、お得意の「日帝の陰謀」とか、「清国の邪魔」とか言えないわけでして。(笑)

そういう状況なんで、これじゃ学校設立の本旨じゃないという議論が政府部内に興って、取りあえず廃校にすることにして、教師として雇われてたアメリカ人バンカー氏も解雇。
聞くところでは、当事者はこの後時機を見計らって、更に厳格な校則を設けて再び設置しようと言ってる、と。
「更に厳格な校則」って、どういう意味で厳しくするつもりだったんでしょうねぇ・・・。(笑)


ってことで、非常に長くなりましたが、今日はこれでお終い。