今日も、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/7 明治31年12月10日から明治31年12月31日(レファレンスコード:B03050003400)』からになります。
今回も長めの史料なので、ちゃっちゃと行きたいと思います。
1898年(明治31年)12月13日付『機密第55号』より。

使臣会議に於て本官質問一件に関する件

客月23日の各国使臣会議に於て、本官は帝国政府の訓令に基き、韓政府は能く秩序を回復し得べきや否やに付各国使臣の意見を尋ねたりとの趣、在京城露公使の報告に依り在東京露公使より閣下に面談の次第有之、頗る御心念を悩まされたる由伝聞。
恐縮の至りに存候。
右に関しては、事情の通ぜざる廉有之やに相考候間、当時の状況左に開陳致候。
どうも、11月23日の使臣会議で、日置が韓国政府は秩序を回復できるかどうか意見を聞いた事に対して、ロシア側からクレーム的な話があったようですね。
で、それに対する日置の弁解というか、詳細な状況説明という事になります。

一.使臣会議
各国使臣会議と云へば、如何にも行々敷相聞へ候得共、当地に於ては毎週木曜日に於て議事問題の有無に関はらず倶楽部に会合することに定まり居りて、畢竟之れ一の親睦的雑談会たるに過ぎず、則ち客月23日に於ける会議は、翌木曜日の会を一日繰上げたる者にして、何人か特に之を請求したるものにあらず。
亦た、同日の会議に於て爾後当分の間毎日集会の事に定まりたるも、是とて何等一定の事件に付評議すと云ふにあらず。
唯毎日、各自の得たる新聞報告を互に交換するに外ならざりしなり。
而して本官は、此雑話中に於て唯漠然と左の談話を持出したるなり。
以前から、このブログで度々「使臣会議」を取り上げて来ましたが、日置が言うには毎週木曜日に倶楽部に会合してる親睦会的な雑談会だよ、と。
まぁ、その中で度々重要な話がなされているわけですが。(笑)
で、今回話題になっている使臣会議も、誰かがやろうと言って集まったわけではなく、その会議で当分毎日集会しようと決まったが、これも一定の事件を評議するというわけではなく、各自新聞報告で情報交換する事が目的だ、と。
その中で出た話、という前置きなわけですね。

一.本官の談話
唯今の形勢は、日に益々非に赴く様なるが如何でしょうか。
韓政府は何とか片を付けるでしょうか。
どうでしょう。(帝国政府の訓令云々の如きは、決して云ひたることなし)
之に対し独逸領事は、予は「グレートハウス」と同意見なり。
則ち、30人の欧米人巡査が居なければ、六ヶ敷からん。(其意は、「グレートハウス」は曩きに韓帝の密旨を帯び上海に至り、欧米人の無頼漢を韓帝の親衛巡査として傭来りたるも、当時輿論の反抗激しく、契約期間の給金を一時に支払ひ放還したることあり。此等の人を意味す。)
又、米公使は之に次て、韓国独力にては六ヶ敷からんと申述べたり。
他は孰れも、黙々の間に右意見に同意する者の如くなりしなり。
於是、独領事は貴君の意見は如何と反問致候に付、拙者も頗る危殆にして、如何に韓廷が之を処置し得るやは予言し能はざるも、拙者は今直に韓廷は独力にて片付け能はずと云ふは、或は速了にはあらざるやと考ふ。
何となれば、韓廷は秩序を回復する為めに、未だ凡ての手段を盡したるものと云ふ可からず。
則ち、当国警察及び兵力の能不能に就ては種々議論もあれども、兎に角今日迄は実際に警察力も兵力も用いたることなし。
此2者を実際に使用したる上ならでは、有らゆる措置を盡したりと云ふ可からざれば、今日直ちに韓政府を以て秩序を回復するに全く無能力なりと云ふは、拙者の敢てせざる処なりと答へたり。
使臣会議において日置は、韓国の形勢がどんどん悪くなっていく事に関し、韓国政府が何とか片を付けるかどうか、各国の使臣の意見を聞くわけです。
ドイツ領事は、グレートハウス同様に外国人巡査を導入しなければ難しいだろう、と。
7月30日のエントリーで傭入され、7月31日のエントリーで帰っていった外人巡査の件ですね。
で、アメリカ公使も韓国独力じゃ難しいだろ、と。
他の公使や領事も、語りはしないもののこれらに同意しているらしい。
韓国の軍隊や警察が無能力というのは、前提なんでしょう。(笑)

逆に意見を聞かれた日置は、どのようにして韓国政府が事態に処置するかは予言できないが、今直ちに韓国政府が独力で事態収拾できないとするのは早計ではないだろうか、と。
思ってもいない事を。(笑)
で、何故かと言えば、まだ韓国政府は秩序回復のために兵力も警察力も行使しておらず、全ての手段を尽くしたとは言えず、これを使用した上でなければ、韓国政府が秩序を回復する能力が全く無いとは敢えてしないと述べる。
んー、際立つ事になるだけの気もしますが。(笑)

一.本官が此談抦を開きたる理由
抑も本官が此問題を持出したる理由は、決して他の意見を聞かんとの意旨にあらず。
何となれば、他の意見は常に洩れ聞き居りて、本官には此前既に明白に分り居りたればなり。
某々公使の如きは、本官に会する毎に、日露協商は孰れも当国の世話をなすことを禁ずる者が、実に不幸なることなり。
併し、最早今日と成りては何とかせざれば迚も駄目なり云々と申居候。
然り本官は、他の意見を充分に承知致居たり。
故に態々此問題を持出し、本官の意見を表明し置くの機会を作りたるなり。
即ち、露公使は常に当国の事変を過大視して、何等生ずるときは直に干渉説を提出するの傾あり。
彼の云ふ処は、当国今日の形勢は、到底久しく持続すべからず。
果して、久しく持続す可からずとせば、誰れか外国より世話せざる可からず。
此場合に於て、若し日露両国にして拱手傍観せば、英米諸国必ず入込み来るべし。
一旦彼等が其勢力を扶植したるときは、之を除去すること極めて困難なれば、貴我両国は速に手を付けざるべからずと云ふにあり。
現に客月6日、則ち独立協会員の逮捕始まりたる翌日、同公使に面会の節も右の議論を提出して、其主意に拠り各々本国政府に訓令を請はんことを、本官に頻りに勧告せり。
本官は、此問題の関係する処極めて重大なるを以て、臨時代理の任に在っては到底御勧告に応ずること能はず。
又た、今日の形勢も今暫く経過を見たる上ならでは、果して貴見の如く危殆なるや否やを確むること能はずと受流したる処、貴君が此際に於て臨時代理たるは如何にも残念なり。
然らば、今加藤公使は東京に居らるること故、同公使迄電報し、同公使より政府に上申せしむることは出来ずやと申候に付、本日御話の次第は加藤公使に通告は致すべけれども、電報にては自然意味の不充分なるを免がれざる訳故書面にて申遣すことに致度。
当国の形勢も、唯今の処では或は3日、或は10日と云ふ程もあらざるべしと辞し置きたり。

露公使の態度は右の如くせき込み居る上に、当地の形勢日に非に赴き、且つ他使臣等も本官に向って、迚も韓政府は独立にて始末は附け能はざるべしと云ふ位なれば、露公使に向っても同様の言を云ひ居るものと想定したるに付、同公使が如何なる考を起すやも知れずと懸念したるを以て、他人の居る前にて日本の代表者の意見として、今直ちに韓廷を無能力と認めずとのことを表白し置くは、露公使の行為を牽制するの効力あるべしと信じたること第一の理由なり。

第二の理由は、当地の形勢は最初は兎もあれ、当時となりては到底兵力を用ゆるにあらざれば、鎮定すること困難なるべしと本官は断定したり。
而して、韓帝も亦兵力を用いたしとの意、実に切なりしも、事変の発端より英米2公使は、兵力使用に公然反対したる為め、帝は一に之を恐れて政府の実際力を正当に使用すること能はざる者と認めたり。
若し、当国の形勢にして彼等の云ふ如く、到底独力にて鎮定出来ずと云ふが如き程度に達し居るものとせば、此際尚ほ外国使臣が兵力の使用に反対して、韓廷を覇■するの不正なるを覚らしめ、英米2公使の態度を一変せしめんことを暗に期したるなり。
本官の意思は、素より他人の知るべき限りにあらざるも、該会議に於て述べたる本官の意見は、正しく前陳の如く有之。
若し必要も有之候はば、証明を得ることも決して難事に無之を信じ候。
為御参考右事情及具申候。
敬具
ロシア公使は、8月14日のエントリー等これまでの報告通り、不干渉を謳った日露協商は、到底長続きすべき理由も性質も有しないといつも公言しているわけで、常に韓国の事変を過大視して、何かあった時にはすぐ干渉説を出す傾向がある、と。

ところで、このロシア公使がマチュニンなのかパブロフなのか分からなかったのですが、1899年の1月にパブロフが着任していますので、これらを述べているのはマチュニンということになります。
7月31日のエントリーで加藤が「マチユニ氏は沈着公平の人物にて内外の評判宜しく、本官との関係は殊に親密なり。」としていた事と、日置の記すマチュニンとでは、相当ギャップがある気がしますね。(笑)
まぁ、7月24日のエントリーでマチュニンが、「時宜に依り、日露両国兵力を以て公然の干渉を試みんとするが如き私見を抱持」しているわけで、新任当時からこの時まで、変わってないと言えば変わってないんですが。

で、マチュニンから、イギリスやアメリカが介入する前に干渉しようぜ!
互いの本国に訓令してもらおうぜ!とするわけですが、日置は、いや自分は臨時代理公使だからと逃げる。
その上で、今すぐ韓国政府が無能だとは認めない、つまり積極的干渉するにはまだ早いと表明しておく事が、使臣会議における日置の発言の理由の第一、と。

もう一つは、日置は武力を使用しない限り、鎮定できないだろうと考えているが、イギリスとアメリカ公使は最初から武力使用に反対。
そのために高宗は、武力行使できないで居る、と。
で、到底独力では鎮定できないと言いながら、外国使臣が武力の使用に反対する事が不正であると分からせ、イギリス・アメリカ公使を翻意させる事が、第二の目的。

んー、日置も含めて裏で色々とありますねぇ・・・。
まぁ、外交ってそんなもんなんでしょうけど。


今日はここまで。



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