独立協会・万民共同会に関しては、既に巷間に流れる俗説と、かなりな差異を生じていますが、まさかこのまま高宗の勅諭で解散でお終いってことはないよねと、かなり不安になっているdreamtaleです。
どうも。

諸事情により、昨日はお休み。( ´H`)y-~~
気を取り直して、今日もガシガシ史料を読み進めていきたいと思います。
毎度の『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/6 明治31年11月16日から明治31年12月10日(レファレンスコード:B03050003300)』から、1898年(明治31年)11月29日発『電受第386号』。

第135号

貴電第73号の趣、謹で拝承せり。
加藤公使御帰任迄は、断じて何等の行動を為さざるべきに付、御安心を乞ふ。
尚、加藤公使御帰任の、一日も速かならんことを希望す。
将又、本官帰朝命ぜられたき儀は、予て請願致し居る処なれば、是亦可成速に御許容あらんことを希望す。
第135号とありますが、恐らくは第145号の誤り。

つうか、だからお前が自慢話書くから、青木も不安になったんだろうが。(笑)
と思ったら、やっぱり元々日本に帰りたがってたのね。
どうりで、やたらと手柄話すると思った。(笑)

ちなみに史料の右上には、「日置帰朝の件は、加藤公使着任の上決すべし」とありますね。
その事自体は知らなくても、加藤が帰って来なければ、代理公使は帰れないわけで。
加藤の帰りを心待ちにするのも当然ですな。(笑)

続いては、1898年(明治31年)11月30日発『電受第389号』から。

第146号

去る26日、トン礼門臨御に参列せざりし廉を以て免官の処分を受けたる、外部大臣朴斉純、学部大臣李道宰、軍部大臣閔泳煥は、昨日特旨を以て懲戒を免じ前官に復し、閔泳煥は内部大臣に任ぜられたり。
ん。
26日の臨御とは、8月15日のエントリーで高宗が初めて格好いい姿を見せてくれた、万民共同会と褓負商の解散の話の時の事ですね。
外部大臣朴斉純、学部大臣李道宰、軍部大臣閔泳煥は、その際出席しなかったので一度は免官になったが、その後特旨で復職し、うち閔泳煥は内部大臣になった、と。

くだらない理由で大臣更迭するのは、止めたらしい。
尤も、一回は免官しているようなので、誰かの入れ知恵だとは思うですがね♪

さて、次の史料はかなり長い、独立協会の運動に関するこれまでの経過報告。
長いので、ぶった切りながら読み進めていきます。
ってことで、1898年(明治31年)11月16日付『機密第50号』より。

独立協会示威運動に関する件

這回の政変に関しては、曩きに発第75号公信及自第119号乃至第125号電報を以て及報申置候処、猶又事実左に報告致候。
抑独立派の内政改革に関する示威的運動は、韓帝の心窃に嫌厭せる所なるも、如何にせん輿論の趨勢に掣肘せられ、終に大臣を更迭し、6条目を採用し、中枢院官制を改革する等の事あり深く宸襟を悩ませらるる際、独立派に反対する趙秉式、閔種黙、李基東等、本月4日の夜(此日、宮中に茶礼の儀式を挙げられたる為め、百官入参)、入って陛下に侍し、徹夜君側に在って画策する所あり。
其結果、朴斉純、李道宰の2大臣を除き、其他大臣・賛政・協辨等の、曩きに鐘路集会に参列したる官吏は悉く之を免官し、趙秉式、閔種黙、南廷哲等を入闕せしめ新に警務使を任命し、其翌5日払暁捕吏を各所に派し、独立協会員の重なるもの17名(電報に19名とせし内、2名は直に放免せり)を逮捕し、嗣て勅令を発し、独立協会、皇国協会、総商会其他苟くも会名あるものは、悉く解散を命ぜり。
於是、一般の人心大に激昂し、独立協会員の多数は警務庁に押寄せ、市民等も亦た各門戸を鎖し業を廃して、政府の反省を促せり。
趙秉式内閣は、切に兵力を以て一挙之を鎮圧すべしと主張し、物情兎角騒々しく、種々の風説をなすものあり。
就中這回の事件に関して、露公使は確かに之れが画策に参与伝ふるに至れり。
曰く、事件の前日趙秉式、閔種黙等露公使を訪問し、独立協会解散問題に関する露公使の意見を問ひたるに、同公使は凡そ政党なるものは国政に妨害あり。
宜しく之を打破するに如かずとの勧告を与へ、且つ之が為め列国間何等の面倒を惹起することあるも、露国は相当の保護を与ふるに躊躇せざるべしと答へたる旨、陛下に内奏したる結果、聖意怱ち解散に一決し、劈頭第一に会員の重なる者22名の捕縛に着手せりとの説、稍々其出処信に近きを以て、本官は本月5日露公使を訪ひ談偶々這回の政変に亘り、右風説の実否を確めたるに、同公使は其本国流義の政党排斥説を主張し、独立協会の解散は勿論同意なるも、這回の事変に関しては毫も関係する所なく、又何等条約を締結したることなき旨を弁疏し、且つ之れが事実を証するため、趙・閔2氏には着任後曾て唯だ僅に1回の面会を為したるのみにして、近来絶て面見したる事無之旨を以てせり。(同館在勤書記官ケルベルグ氏は、韓客接待掛として韓人に応接する任務を担当し居れりと。而して、這回趙・閔2氏が露館に出入したるは事実無相違との事より察すれば、或は両人は右書記官に面接し、左も露公使に面談したるが如く入って陛下に奏上したるものならんと察せらる。此類の行為は、当国人中多く視る所。)
これまでの総合的な報告ということで、殆ど既出の内容なので困ります。(笑)
まぁ、経緯のまとめという形で、さらっとおさらいしておきましょう。

元々高宗は、独立協会の示威運動に嫌悪感を示していたが、世論にも掣肘されて結局大臣更迭・6条目の採用・中枢院官制改革を行わなければならなくなり深く悩んでいたところ、反独立協会派の趙秉式、閔種黙、李基東等が11月4日夜に高宗の元へ来て、徹夜で画策。
結果として、朴斉純、李道宰以外の大臣・賛政・協辨等、8月10日のエントリーでの連合会に出席した官吏は、悉く免官。
趙秉式、閔種黙、南廷哲等の入闕。
金禎根を警務使いに任命し、11月5日朝17名を逮捕して、各団体に解散命令を出した、と。

この為、一般人も大いに激昂し、独立協会員は8月7日のエントリーに見られたとおり警務庁に押し寄せる。
一般人も家の扉をしめて、仕事も休む等の行動により、政府の反省を促した。
一方、趙秉式内閣は兵力使ってやっちまおうぜと主張。

そんな中で、ロシア公使がこの時の画策に参与したという風説が流れる。
内容は、事件の前日に趙秉式、閔種黙がロシア公使館を訪れ、独立協会解散問題についてロシア公使の意見を聞いたところ、公使は「政党ってのは国政を妨害するものだから、打破しといたほうが良いよ。もし他国と面倒なことになったら、ロシアがケツ持ってやるし。( ´H`)y-~~」と。
8月6日のエントリー辺りにも報告がありましたね。
但し、その時は趙秉式や閔種黙は、高宗の密命でロシア公使の意見を伺いに行ったとされていますが。
で、ロシア公使の意見を以て高宗は独立協会解散を決め、逮捕に至ったと。
まぁ、そういう風説ですね。

この風説について、日置が11月5日にロシア公使と会った時に話題となり、本当かどうか確かめてみると、ロシア公使はロシア流儀の政党排斥説を唱え、当然独立協会解散にも賛成だけど、今回の事変には関係しとらんし、第一最近趙秉式や閔種黙とは会ってないよ、と。

これを聞いた日置は、実際に趙秉式と閔種黙はロシア公使に会っておらず、7月8日のエントリーを始めとした絶影島関係で何度か名前の出てきた、書記官ケルベルグと会っただけで、さもロシア公使と面談したと高宗に言ったんじゃね?との予想。
こんな話、韓国人には一杯あるし、と。(笑)
いや、面白い一言だねぇ。

「此類の行為は、当国人中多く視る所。」

ゲラゲラゲラ


今日はこれまで。



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