さて、前回前々回で1894年(明治27年)、1895年(明治28年)に下された勅令が、いずれも議会から否決された事を述べてきました。
で、1895年(明治28年)の『勅令144号』は、既に小村・ウェベル・西園寺・ヒトロヴォ等、日露の協議最中の1896年(明治29年)4月11日に「明治28年勅令第144号の効力を、将来に失わしむるの件を裁可し、茲に之を公布」されだんですね。

それから1ヶ月も経たない、1896年(明治29年)5月8日。
『枢密院会議筆記・一、朝鮮国ヘ渡航者取締ノ件会議筆記・明治二十九年五月八日/朝鮮国ヘ渡航者取締ノ件会議筆記(レファレンスコード:A03033502100)』より。

 (1~5画像目半まで、出席者等により省略。5画像目真ん中から。)

政府委員(小野田)
一応本業提出の理由を述べん。
御承知の通り朝鮮に於ては、所謂日本党政府破れ反対党で政府を組織したり。
而め当時朝鮮に在留する所の本邦人民は、其の数実に1万有余人にして、此等は開化党の有志と図り、現政府に対して不軌を企てんとするの状況あり。
又、曾て退韓を命ぜられたる者にして、再び渡韓を為さんと企つる者あり。
其の目的を探求するに、実に容易ならざるものあるが如し。
此事に関し、過般召集したる警部長会議に諮詢したる所、益々其の事実なるを確めたり。
故に、今日之が取締を為すあらざれば、後日如何なる事件の発生せんも測り難きにより、本案を提出したるなり。

 (勅令案部分省略)

20番(佐野)
本官は、唯今の政府委員の説明と、過般総理大臣よりの談話とに依り、本業提出の理由は一応之を承知したり。
本官は旅行中にて、詳き事は承知せざれども、議院に於ては■度共此の勅令を否決したるは事実なり。
一度議院に於て否決したるに拘らず、政府が之を再び発布したるに付ては、顕著なる理由ありしならん。
然るに、議院に於て再び之を否決したるは、如何なる理由に基きしか、其様子も詳知せず。
然ども、今日の時に於て再三之を発布せんとするは、極急を要するの事情あるべしと思はる。
依て、曾て政府が此勅令を発布したる時の事情と、今日の事情とを詳細説明あらんことを希望す。
議院に於て之を否決し、最早4、5ヶ月も経過し、次の議会も今5、6ヶ月にて召集せらるべき今日に於て之を発布するの理由を詳知したし。
政府委員の小野田が誰かはちょっと不明。
内務省警保局長なんで、職員録見ればすぐわかるとは思うんだけど。

で、3度目の提出理由を説明するわけです。
俄館播遷以降、在朝鮮日本人は開化党の有志と図って、現政府の顛覆を狙ってる、と。
所謂「壮士輩」ですね。
そして、かつて退韓処分になった者が、再び渡韓しようとしているようで、警部長会議でも其の事実を確認。
従って、取締の為に勅令案を提出した、と。

これに質問したのが佐野常民。
色々と興味深い人物であるが、一般には日本赤十字社の生みの親として有名。
で、理由はあるんだろうけど、議会で否決されたのに何でまた出すのよ?と。

「議院に於て之を否決し、最早4、5ヶ月も経過し」がイマイチ良く分からないんだけど、もしかして議会で12月や1月には否決されてたのかな?
と思って少し調べてみたら、1895年(明治28年)の第9回帝国議会の会期は、1895年(明治28年)12月28日~1896年(明治29年)3月28日だったようで。
つまり議会中に否決され、閉会後の4月11日に「明治28年勅令第144号の効力を、将来に失わしむるの件を裁可し、茲に之を公布」されたんでしょうね。



政府委員(小野田)
議院に於て之を否決したる理由は、此勅令を発布したる其当時に於ては其の必要ありしも、其時期は既に経過し、之を永続するの必要なしと云ふにありしが如し。
次に今日の事情を述べしに、朝鮮人禹範善なる者本邦に渡り、曾て退韓を命ぜられたる佐々正之、武田範之等と図り不軌を企てんと欲し、禹及武田の両人は此目的を持って新潟に旅行し居れり。
朝鮮に於て不軌を図るは実に容易の業にして、100人の人数と2、300円の金員あらば以て事を挙ぐるを得べし。
政府に於ても成る可く行政上の手続方法を以て、此等に対し取締を施さんと欲するも、如何■せん充分に之を行ふこと能はず。
依りて已むを得ず勅令の発布を要するなり。
仮令此勅令発布せらるるも、正業の為め渡航する者等に対しては、出来得る丈の自由を与ふる積なり。
又、政府に於ては前陳の事情目前に横たはるを以て、今後5、6ヶ月の後、議会召集の時を待つこと能はず。

20番(佐野)
本官に於ては、質問の点悉く瞭然したり。

 (以下、可決手続きにつき省略)
禹範善キタ━━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!(笑)

まぁ、禹範善はこのブログ見てる人は良く知ってますね。
『在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件』において「旧年王妃を弑せしは自己なり」と自ら述べ、純宗に「乙未事件に際し、現に朕が目撃せし国母の仇、禹範善」と言われた人です。

武田範之は、去年の6月24日のエントリーでも触れていますが、内田良平の ナカーマ(・∀・)人(・∀・) であり、閔妃殺害事件に参加して退韓処分をくらった男。

佐々正之は、佐々友房の弟で、これまた閔妃殺害事件に参加して退韓処分をくらった男。

まぁ、三人はそういう関係。
で、不軌を企てようとして、禹範善と武田範之は新潟に旅行している、と。
つか、「朝鮮に於て不軌を図るは実に容易の業にして、100人の人数と2、300円の金員あらば以て事を挙ぐるを得べし。」って。(笑)
そういう事で、現行の取締では限界があるから、渡航自体を禁止するっつうのが意図なわけですな。

結果、『御署名原本・明治二十九年・勅令/御署名原本・明治二十九年・勅令第二百四号・朝鮮国ヘ渡航禁止ノ件(レファレンスコード:A03020244400)』。

朕茲に緊急の必要ありと認め、枢密顧問の諮詢を経て、帝国憲法第8条に依り文武官其の他官庁の命に依る者の外、日本臣民管轄地方庁の許可なくして朝鮮国に渡航することを禁ずるの件を裁可し、之を公布せしむ。

明治29年5月9日

(中略)

勅令第204号
文武官其の他官庁の命に依る者の外、日本臣民は管轄地方庁の許可なくして朝鮮国に渡航することを禁ず。
犯す者は、1月以上1年以下の重禁錮に処し、20円以上200円以下の罰金を附加す。
本令は発布の日より施行す。
んー、同じ文面3度目。(笑)
しかしながら、この勅令も廃止されます。

『御署名原本・明治二十九年・勅令/御署名原本・明治二十九年・勅令第三百九十八号・明治二十九年勅令第二百四号(朝鮮国ヘ渡航禁止ノ件)廃止(レファレンスコード:A03020263800)』

朕茲に緊急の必要ありと認め、枢密顧問の諮詢を経て、帝国憲法第8条に依り明治29年勅令第204号廃止の件を裁可し、之を公布せしむ。

明治29年5月9日

(中略)

勅令第
明治29年勅令第204号は、本令発布の日より之を廃止す。
今度は、議会の否決ではなく、政府側からの廃止の勅令が出た形ですね。

理由は、『公文類聚・第二十編・明治二十九年・第二十五巻・地理・土地・森林、警察・行政警察・社寺門・雑載/明治二十九年勅令第二百四号・(文武官其ノ他官庁ノ命ニ依ル者ノ外日本臣民ハ管轄地方庁ノ許可ナクシテ朝鮮国ヘ渡航禁止ノ件)・ヲ廃ス(レファレンスコード:A01200855600)』によれば、その必要性が無くなったから、と。
朝鮮の混乱が一段落したからでしょうね。

さて、3月9日のエントリーの『機密第42号』中で小村が「又、壮士の取締に関しては、事変後京城無いに於て凶状の挙動を為したる日本人1人もなきを見ても、其厳重なるを知られ得べく、殊に今回帝国政府が再び渡韓禁止令を施行したるを見て、更に用意の周到なること明白なりと信ず。」とあるわけですが、まぁこういう経緯を辿っているわけです。

「壮士」の取締って、実は日本政府側にとって譲歩でも何でもないわけで。(笑)
そんな事で、今回の連載はおしまい。


(了)



朝鮮国へ渡航禁止の件(一)
朝鮮国へ渡航禁止の件(二)