解散に伴う京城の紛擾。
その詳細については色々な報告があるものの、ここでは第13師団参謀長若見虎治による1907年(明治40年)8月3日付『衛発第14号 別紙』を基本にして書いていく事とする。


南大門附近戦闘詳報

一.7月31日夜10時40分、韓国軍隊解散の詔勅発せられ、翌8月1日午前7時、軍部大臣は各隊長を大觀亭(軍司令官官邸)に集め詔勅を伝ふ。
此時、侍衛第1連隊第一大隊長は病を以て参列せず。



『憲兵司令部 韓国軍隊解散に関する報告の件(レファレンスコード:C03022880600)』によれば、解散の詔勅が上奏裁可されたのが午後8時頃。
集合した隊長の内歩兵は大隊長以上が、病欠した第一大隊長の代わりには古参の中隊長が出席。
各隊長の大部分が、この時に初めて解散の事を知ったようである。
この時には普通に解散。


午前8時過、韓国軍隊教官栗原大尉は、侍衛第1連隊第一大隊長整列せしめ訓練院の解隊式場に誘導せんとするや、大隊長自殺し悲鳴を挙げ、之と同時に整列したる兵卒は、突然沸騰離散し、教官に向て害を加へんとするを以て、教官は直ちに退営せり。


同上の史料によれば、整列の際は徒手。
自殺の方法は、刃物で咽喉部を斬るというものだったらしい。
その大隊長とは、1907年(明治40年)8月30日付『来電 別紙 番外 三』によれば、侍衛大隊長歩兵参領の朴昇煥であった。
それで「突然沸騰」。(笑)
俗に言う「火病」ですね。


此時隣兵営なる侍衛第2連隊第一大隊に於ては、教官池大尉の指導を以て訓練院に向ひ、将に営門を発せんとするや、端なく隣営の暴動に誘発せられ、是又俄に沸騰し、教官に暴行を加へんとするを以て、教官は退営の止むなきに至れり。


これまた先の史料によれば、第2連隊第一大隊は、銃声を聞いて多くは脱走し、一部が営内に戻って銃器を携帯し、射撃を始めたようである。


両兵営の叛兵は、直に弾薬庫の弾薬を奪ひ、武器を携へ営外に逸出し、営外周圍に哨兵を配置し、大部は営内にありて猥りに発砲し、且つ哨兵も乱射を始めたり。
此時一部の兵は脱走したるが如し。

二.南大門内にある歩兵第51連隊第三大隊は、訓練院に向て出発する。
両大隊の空営を受領、警戒する為め第九第十中隊の各一小隊を営内に整列し、今や営門を出んとするに際し、両兵営の叛兵営門に逸出し射撃を始めたるを以て、急速第九中隊の一小隊は、第2連隊第一大隊に向て前進したるに、哨兵并に営内の叛兵は、我に向て乱射し、且つ南大門衛兵に向て猛射せり。
我小隊は、一時兵営に接近して停止し、之を監視し未だ射撃を開始せず。
第三大隊長坂部少佐は危険を顧慮し、更に第十中隊全部を挙げ赴援せしめ、叛兵の鎭撫に勉めしめ、一方に於ては、逃走兵の捜査に従事せしめたり。
時は午前9時30分なり。

三.午前9時30分、師団長は右の情報を得、兵力を以て鎮圧するの外手段なきを察し、第三大隊長に次の要旨の命令を下す。
貴官は南大門兵営にある二中隊并機関銃三門を以て、南大門衛兵并昭義門衛兵と協力し、侍衛第1連隊第一大隊、同第2連隊第一大隊の叛兵を急速に鎮圧すべし。
工兵将校以下11名及伝騎二を属す。

四.鍾路にある歩兵第51連隊第二大隊長は昭義門方面の銃声を聞き、午前9時40分、将校斥候1、下士斥候1を昭義門方向に差遣せり。

五.午前9時50分、布德門にある第一大隊長は、昭義門方向に銃声の盛なるを聞き、約一小隊の将校斥候を該方向に派遣せり。
此斥候は、中和殿西方道路に出るや、中和殿西方約300米突の壁にある約一小隊の韓兵より射撃を受く。
依て直ちに之と対戦し、之を西北方及西南方に撃退せり。
其西南方に逃走せるものは、昭義門内の兵営に竄入せるが如し。
米澤小隊は之に追尾して、第十中隊と協力し、兵営攻撃に参与す。
布德門にある第一大隊長は、米澤小隊の銃声盛なるを聞き、更に第三中隊(米澤小隊欠)を増加追及せしめしも、到着する頃には韓兵は已に退却せり。

六.午前10時徴上第2連隊第三大隊は、訓練院に向て出発したるの報に接し、大觀亭、前兵営にある歩兵隊は他に使用するも差支なきに至れるを以て、其歩兵一中隊を坂部少佐の指揮に属す。

七.午前10時15分、韓国各大隊は、目下暴動中のものを除き他は悉く訓練院に集合したるの報を得、更に鍾路にある歩兵一中隊(第七中隊)を坂部少佐の指揮に属し、速に暴動を鎮圧せしむ。

八.午前10時20分、坂部少佐は第九中隊及工兵隊を以て営外の哨兵を駆逐し、直ちに侍衛第2連隊第一大隊の裏門に向て攻撃す。
此時韓兵は、兵営の壁上及窓牖より猛烈なる射撃をなし、狭隘なる道路を前進する我兵を阻止し、之が為め負傷者少からず。
然れども、第九中隊に跟隨する機関銃一門并び南大門壁上の機関銃二門と協力して、激烈なる応射をなし前進を準備す。
然るに韓兵は、窓壁等に掩蔽せられ、我が前進を見るや直ちに起て射撃するを以て、容易に退散せしむることを得ず。
午前10時40分、増加せられたる第十二中隊到着せるを以て、第三大隊長は直ちに之を第九中隊に増加す。
第九中隊長梶原大尉は、此時已に負傷せるに拘らず、勇を奮って衆に先ち兵営に突入し、部下は驀進之に従ふ。
梶原大尉は、韓国将校二名を斬り営内に突入す。

 (続く)



朴昇煥が自殺しなければ、どうなっていたのかなぁ・・・。
って、長い報告なので、途中で切れてしまった。
次回はこの続きより。

今日はこれまで。


韓国軍解散(一)
韓国軍解散(二)
韓国軍解散(三)