着信アリ

 
李泰鎭の回答も無いので(一)
李泰鎭の回答も無いので(二)
李泰鎭の回答も無いので(三)
さよなら、李泰鎭
李泰鎮と愉快な仲間達


バファリン作戦についてであるが、本日、李泰鎮教授から回答があった。
添付された回答文書の日付は、3月14日付け。
『洒落の効いた面白い人』確定。(笑)

ちなみに添付文書の作成日が16日、最終保存日が18日であるのは、ご愛敬であろう。

回答自体、『学問』を飯の種にしている者としては、至極当然の対応ではあるが、「あの質問内容で、回答なんて来るハズねぇーよ。ゲラゲラゲラ」と爆笑していた私としては、ここでその事について丁寧に謝意を示し、御回答頂いた事について敬意を表し、教授の呼称を復活させたい。

「逃亡すると決めつけて、申し訳ございませんでした。そして、(韓国国史学権威としての)自殺に来てくれて、ありがとうございます。ここにその勇気に敬意を表し、全力を以て介錯つかまつりたいと存じます。以上。」



さて、回答の内容についてである。
内容としては、全体的に「記者が~」の記述が多い所が笑わせてくれる。
詳細な内容については、今後の作戦と関連することから、公開はもう少し待って頂きたいと思う。

しかし、それでは今作戦を応援してくれている方、楽しみにしていてくれる方などに失礼に当たると思うので、その一部を公開したい。

前提となるのは、毎度おなじみの『機密第51号』と附属地図である。

『機密第51号』(クリックで拡大)

附属地図(クリックで拡大)


今回公開するのは、質問状における質問8についての回答である。
質問の内容は、以下のとおりである。

8.【報告書は当時、乾清宮内の長安堂には高宗が、坤寧閤には明成皇后が滞在しており、この中、どこか確認されない場所から明成皇后を捜し出したと記録した。】との記述について。
 
当該文書は、高宗らの滞在について記していない。
何故、存在しない記述を【記録した】と捏造したか、お教えいただきたい。
 
また、当該文書には【(1)ノ所ヨリ(2)ノ所ニ引出サレ】とあり、地図には【1】が明示されている。
それにもかかわらず【どこか確認されない場所から明成皇后を捜し出したと記録した】と見なすのは、史料を無視する意図からか、或いは他に目的もしくは学術的意義があるのか、回答願いたい。


この質問に対しての回答は、以下のとおりである。

8。当時高宗が長安堂にいたのはロシア人パーチンを始めて他の目撃者の記録にも言及されていることです。
ここでも事実を確認する前に“捏造”という言葉が依然として用いられているのは遺憾です。
貴下は「見取図」に(1)が明示されているとしたが、それを具体的に指摘して教えてください。
私にとっては見つけることができないです。
また、内田の説明にも“図中に示せん(1)”と説いています。


「『ロシア人パーチン』とは初耳ですね。」という突っ込みは、低レベルに過ぎるだろうか。(笑)
これが、『ロシア人サバチン』あるいは『ロシア人サバティン』の誤記であるとすれば、この質問状に対して、誤記した回答を送ってくる事自体、信じられない神経ではある。

さて、質問状の前書きにもあるとおり、今回の発表の元となった史料を評価しているのは、李泰鎮教授自身である。
そこには、従来の憶測や目撃証言とは違った状況が記載されており、故に従来の史料が信用に値しないことを、自ら示した事に成るはずである。
それを用いているとは、如何?

また、【記録した】の前文は【報告書は当時】であり、他の史料に依拠した発言では無いハズである。
報告書の何処を探しても、高宗が長安堂にいた事は記載されていないのであり、明確な捏造行為である。
事実を確認も糞もあるまい。

しかも、長安堂に高宗が居れば、高宗の居た所から閔妃が引出された事になる。
それで、良いのか?(笑)

そして、我々の思っていたとおり、李泰鎮教授は(1)を発見できて居なかったらしい。
しかも、「示セル」を「示せん」と誤読しているのも予想通り。



1.全て仮名書きで行われている公文書で、一個所にのみ平仮名を使用する事は、あり得ない。

2.例え「示せん」であったとしても、「示せない場所」という意味であれば、わざわざ(1)などと付番することはあり得ない。日本語の読解としては、当然に「示せん」であっても「示した」の意になるのは、通常であろう。


そして、(1)は、ここにある。


結局、「君、史料読めてないから。(ゲラゲラ」