今日も目賀田男爵の話の続きを書こうと思ったのが、興味深いニュースがあったので、取り上げてみたい。


中国で旧日本軍の「細菌戦手本」発見


中国の吉林省・長春で第2次世界大戦当時、日本軍が韓国と台湾を狙って作った細菌戦手本が発見されたと中新社が6日報じた。
長春の市民、張國志さんがある古物商から購入したこの手本には、表紙に「衛生下士官候補者教程草案」という表題と「陸軍省検閲済み」」 「昭和15年(1940年)6月1日」という文字が縦書きで並んで記されている。

また、計650ページのうち最後のページに「昭和15年4月20日印刷、印刷工場位置、東京麹町」とある。
特にこの手本総則には「台湾と朝鮮、満州戦場に適用する」と書いており、日本軍が韓国と台湾、満州などで細菌戦を準備したことが分かる。

手本は計11編からなっており、第4編と第5編に 猩紅熱(しょうこうねつ)、肺結核、炭素病といった伝染病の特徴と、 感染源、感染の経路、潜伏期などを詳しく説明している。

また、第7編と第9編には毒ガス、催涙ガスの投てきの仕方、使用方法、具体的な細菌の培養法などが紹介されている。
吉林省・博物院現代史博物館の呉輝陳列部主任は、「手本が作られた1940年は長春市で日本の『100』細菌部隊が出現した時期と一致する」とし、 「この手本は日本軍が長春で細菌戦を準備した明白な証拠」と話した。




検索したところ、中国で最も早く報道したのは、東亞經貿新聞らしい。
WEB上で発見できたのは、太原新聞の6月2日の記事であった。
内容的にも朝鮮日報で報じられたものと、大差無いようである。

さて、この「衛生下士官候補者教程草案」については、アジア歴史資料センターにも、多数の文書が存在する。

まずは、『衛生部下士官候補者教程編纂に関する件(レファレンスコード:C01001534800)』を見てみよう。
起案を行ったのが陸軍省衛生課であり、医務局長を以って教本を編纂させる旨を、陸軍軍医学校長への通達している。

作成された年については、『衛生下士官候補者教程草案縮製の件(レファレンスコード:C01007405600)』及び『軍隊教育用図書検閲の件(レファレンスコード:C01007405600)』などから分かるように、昭和15年に作成されたのではなく、縮刷版が出たのが昭和15年であろう。
工場が麹町という事は、小林又七の川流堂で刷られたものと考えられる。
丁度それに関する文書が公開されていないのは、残念である。

次に、この教本が、何故作られたかである。
『兵役法施行規則中改正の件(レファレンスコード:C01001439700)』によれば、それまで「看護長」であったのが、「衛生下士官」と呼称変更された事に伴っている可能性が高い。

それでは「看護長」の教程はどうであったのか。
『看護長教程案編纂の件(レファレンスコード:C01001534800)』によれば、起案を行ったのが陸軍省衛生課であり、医務局長を以って教本を編纂させる旨を、陸軍軍医学校長への通達しているという過程は、昭和4年の段階から全く同じなのである。

要するに、衛生下士官(旧看護長)に対して、普通に行われる教育課程で用いられる本である事は明白であって、細菌部隊の創設との関連等という妄想とは、何等関係がない。
ただし、昭和4年の段階に比して、伝染病(戦闘に使用されると想定されるものを含む)に関する研究は進んでいる、若しくは昭和4年の段階では想定されておらず、細菌関係の記述に関して看護長教程に記載されていない可能性はある。
これは、現物を比較・確認しなければ不明であろう。

次に、当該記事から分かる事について。
「台湾と朝鮮、満州戦場に適用する」から明らかであるように、この教程は「細菌兵器を敵によって使用される」という想定の下で、それに対処する方法として記載されているに過ぎないと思われる。
自国の領土で、細菌戦などするはずがないのである。

そもそも、日本では古本屋でも売ってる資料で、何をやっているのだろう?

これが、中国の『史学者の新発見の発表』で無い事が、せめてもの救いであろう。