読みやすい小説は、視点が統一されている。
皆さんは小説を読んでいるときに、「この人の文章は読みにくいな」「何だか疲れる文章だな」と感じることはありませんか?
それ、実は視点がコロコロと変わっているせいかもしれません。
最も基本的な文章の視点
一人称小説と三人称小説という言葉は聞いたことがあるでしょうか?
これは情景描写などをしていく文章が、誰目線で描かれているかで小説をジャンル分けする言葉です。
よく一人称小説は主人公目線、三人称小説は第三者目線(いわゆる神目線)と言われます。
どんなものか言葉で説明するより、実例をご紹介した方が早いと思うので例文をご用意しました。
一人称小説
私は気づいたら、彼のことばかり考えている。
これは恋なのかな?
三人称小説
○○は気づくと、彼のことばかりを考えている。
これは恋なのかもしれないと思った。
一人称小説はその文体がモノローグに近いことから、感情で魅せるタイプの作品を書きたい人に向いています。
三人称小説は主人公の視点にとらわれずに出来事などを説明できるので、ストーリー展開で魅せるタイプの作品を書きたい人に向いています。
この一人称と三人称は、小説にとって最も基本的で根本的な視点です。
章などの区切りによって、これらの表現が同じ作品内で変更されるケースはありますが、初心者の内は基本的に文章の途中で一人称の表現になったり三人称の表現になったりすることはNGと考えていてください。
視点は書き方だけではない
上記でご紹介した視点は、「文章を誰の目線で見た表現で書くか」といった視点になります。
小説を書くときにはそれとは別に、一人称小説にしても三人称小説にしても「どのキャラの視点から描くか」といった目線が存在します。
一人称小説だと「主人公目線」となるので、最も分かりやすく統一されます。
「僕は~だ」「私は~だ」という視点で書かれた文章が一行ごとに別々の人の視点に変わることはまずあり得ません。
(同じ話の中でヒロイン目線と彼目線を行き来するお話が書かれることがありますが、そういった表現についてはこの次の項目でご紹介します)
三人称形式ではこの辺りをある程度自由に調整して書くことが出来るのですが、あまりに統一感なく文章中の主観がコロコロと別のキャラになるのは読み手を疲れさせます。
文章の主観というのはどういうことかというと、下記のような物です。
Aさんが主観の場合
AはBを殴った。
Bさんが主観の場合
BはAに殴られた。
主観がその場にいた別の人の場合
AがBを殴っていた。
BがAに殴られていた。
いかに三人称小説といえど、完全に客観的な目線で描ききるのは困難です。
主人公を一人立て、その人の目線で物語を進めていくのが最も読み手が物語を理解しやすくなります。
それは何故かというと、物語の世界がイメージできる作者の脳内と違い、読み手は文章を読みながら状況を理解するためです。
あなたの友達が初対面の友人を紹介してきたときに、
「Aちゃんは高校時代の友達で、Cちゃんは中学時代の友達なんだけど、Bちゃんは○○って漫画が好きなの。Aちゃんが好きな漫画は△△ね。漫画といえばCちゃんは漫画家目指してて、Bちゃんは幼稚園の頃からの幼なじみなんだけど、その頃は漫画家になりたかったんだよね」
なんてめちゃくちゃな順番で紹介してきたら、「覚えられるか」って思いませんか?
せめて、一人ずつ紹介するか、話題を絞って紹介してくれよって思いますよね。
まだ慣れていないお話の中で3人のキャラ(それも全キャラオリキャラだったらなおさらです)がどうしたこうしたという設定が入り乱れるお話は、実は読み手目線ではこの状況に非常によく似た大混乱を招いていることが少なくありません……
伝える順番を整理したり、まず理解してもらうためのストレスを減らすために紹介する人を一人に絞り込むなど、「読みやすさ」を得るためには伝えるための工夫がどうしても必要です。
話の途中で視点を切り替えてはいけない?
一つ前の項目で、視点をコロコロ切り替えるのは良くないというお話をしました。
では、お話の途中でヒロイン目線と彼目線を切り替える書き方はなしでしょうか?
私は、そんな事はないと思います。むしろ、効果的な演出です。
視点をコロコロ切り替えるというのは、短い文章の間(数行ごとや、ひどいときは一行の中でなど)で主観が切り替わるような状態です。
きちんと文章を章などで区切って、一定の読み応えのある量のお話のブロックごとに視点が切り替わるのであれば2人の目線から世界が描かれて物語が膨らみます。
ただ、何の脈絡もなく切り替わると読み手が混乱するので、視点が切り替わるときにお決まりの記号を挟むとか、何かルールがあった方が良いと思います。
視点が切り替わったことや、誰目線になったのかを読み手が気づけないような描写は不親切です。