学生の頃、勉強できる子でしたか?

それとも、先生の言ってることが理解できずに

ノートに落書きしてる子でしたか?

 

私は、中学からやる気がなくなり、そこそこ中途半端に終わりました。

そこから、結構いい加減に生きてきたように思う。

けれど、40過ぎて、というか50近くなって、もう一度、自分を変えようと思って、

真剣に学びだしたとき、学習について知らないことが多かった。

学んでも自分の人生に役に立たないような

学び方をしていた。

 

 

今、教育に携わるようになって、

授業についていけない子供たちが悪いのではない、

個性によって伝え方を変えなければ伝わらない、ということを感じる。

 

大前提に学びに必要なのは、2つ。

学ぶ目的と意味を知ること。

 

学びとは、学校の勉強だけでなく、

この世界のあらゆることについて何かを知り、体験し

スキルを身に身に着けて、それまでの自分を超えていくすべての行動が学び。

 

そして、学び方には、個性があるということ。

 

視覚で学ぶ人、耳で聞いて学ぶ人、頭で考えて学ぶ人、体験を通して学ぶ人。

 

それぞれにあった学習法がいる。

そして、実際、動いてもらうために個性にあった伝え方をしなければいけない。

 

1.何。を知りたい人。 どういうこと、根拠や証拠、一般論

2.なぜ。 理由、どんなメリットがあるのか。

3.どうやって。具体的にはどうやるの、手順の全体像を教える

4.今すぐ。はじめは、何をすればいいの。それ、今やらなければいけないのか、実際、手を添えて教える。

 

そういったことを意識するだけで、理解力が変わり、自分の人生に役に立つ学びが得られる。

自分はどのタイプか、考えてみてほしい。

一つの場合もあるし、複数に当てはまることもある。

 

落ちこぼれや、学習障害など授業についていけないって言われてる子供たちは、

悪くない。誰もが、学びたいはず。

ただ、その学び方の枠に押し込めようとして、

合わなかった子供たちが、レッテルを張られ、

どんなに自信を失い、生きる意味を見失うか。

 

子供が遊びの中で、できないことができるようになった時、、

例えば木登りや高いところから飛び降りること。

自らがやってみたいと思って、挑戦して、できるようになった時、

満面の笑顔を浮かべる。

人は、自らの意思をもって決めて、実践した時、

本当の学びを手に入れられる。

 

だれもが、学びたい。成長したいという欲求がある。

でも、これらをつぶしてきたのは、私たち、大人。

私は、自分にあった方法で、学び、理解し

伝えていく人になりたい。

 

落ちこぼれ、学習障害、コミ障、暗い、ダサいて言われても、

どんなレッテルを張られても、

大丈夫。自分を作っていくのは自分。

狭い価値観に押し込められず、アウトローな生き方でいこう!