今日は主人の13回忌でした。


丸12年がたったんだな…


長いような短いような…

でもやっぱり長かった。



今日、お経をあげてくださったお坊さんが、

法事というのは、亡くなった方を供養したり、

偲んだりするためだけでなく、

今、生きている私たちが、生きている意味を

問い直すきっかけにするものだ、


とおっしゃっていました。


丁寧にお経をあげていただいて、

とてもいい供養ができました。




なんとなく、主人もとっても喜んでいる、

という感じがしました。





将来を嘱望された優秀な人でした。

みんなに愛された人でした。



生きていたらきっと世の中に役立つ仕事をしたであろう人が、

30代の若さで逝かなければいけなかった理由を、

残された私がしなければならないことは何なのかを、

自問自答し続けた10年余りでした。



一人の人が亡くなる、

という重み。


自分が生まれてきた意味。


自分が本当にしたいこと。




彼の死後、

私は、主人が亡くなってよかったこと、

悪かったこと、


という欄を作って、

書き込みをしていた時期がありました。




亡くなってよかったこと?

そんなことありえませんでした。



泣きながら、悪いことの欄を埋め尽くしていました。


でも、そのうち、無理してでも、

よかったこと、の欄に何かを書き込もうと決めました。



つらくて辛くて、

なかなか、よかったこと、なんて見つけられなくて。



でも、何年もたったある日、亡くなって「よかったこと」

が、「悪かったこと」を抜く日が来たんです。



それが、すごくすごく悲しくて、でも嬉しくて。





私には今、大きな夢があります。



彼の死は今でも悲しい、



けれども、その後に、私が出会った人たち、

彼が亡くならなければ、決して出会えなかった

多くの大切な方たちとの出会いも、

今の私にはかけがえのないものになりました。



いつかは私も旅立つわけです。

そして、彼と再会した時に、

「すごいことやってのけたね!!


って誉めてもらいたい。


「おかげさまで、一粒で2度おいしい人生過ごせました!!


って、元気に報告したい。




私は、あちらの世界は、浦島太郎の竜宮城と同じでは?


と思っています。


浦島太郎は、竜宮城で、ほんの2日ほど楽しんだつもりが

帰ってきたら、100年がたっていたわけですよね。


それと同じように、こちらの50年は、

あちらの世界では、きっと1日なんですよ。



だから、あと50年たって私があちらの世界に行った時は、

きっと、彼にとってはほんの昨日のこと、

みたいな感じで、きっとさびしいと思う間もないのだと思います。



そう確信しているので、

もしそれが本当だったら、私があちらに行った後、

何か合図をしたいなあ。



だから娘たちと、なにか合図を決めておこうよ、

なんていう話を時々しています。



亡くなった人が一番嬉しいのは、

自分の話をしてもらうことなんだそうです。



ドリームプランプレゼンテーションに参加するにあたって、

お涙ちょうだいのプレゼンだと思われるのが嫌で、

始めは、主人のことにはあまり触れずに、

病院の話をしたいと思っていた私でした。



でも、13回忌を前に、

もしかしたら、彼の話をしてあげることは

供養の一つかもしれない、


と思いなおしたんです。



12年もたって、もう誰からもだんだん忘れ去られて

寂しがっているだろう彼を、

もう一度、みんなに、

「こんなに素敵な人だったんだよ」


って紹介して喜ばせてあげようって。


その作戦は、大成功だったように思います。

すごく喜んでくれてるのがわかる。



私もこれで一区切りつけて、

仕切り直しです!!


やらなくちゃいけないこと、

やりたいこと、


が山積みです。


ぐっすり眠って、また明日から

新しい一歩をスタートさせようっと。