3回見直して、ようやくわかり始めました。 

いう人(政府 財務省 国会 法律)によって 定義が違うので、混乱する。

言う人によって定義が違うのは、わざと混乱させているようだ。

 

 消費税についても よく理解できた。制度として仕組みとして、おかしいのだということが 一般常識として広まって認識されていくことが必要ですね。

 一つの視点からの解説を強制的におしつけて、「そんなこともしらないのか!」と知らないことを悪だと決めつけていく態度もおかしい。 

 

 2つの視点から考えられる政策 仕組みを 違う立場の人たちが 対面して話し会って議論することが必要なのだと思うのですが、日本人は議論で言い負かす 論破するという態度への 嫌悪感があり、黙って静かに 空気で分かり合うのがいいのだという 不思議なスピリチュアル信仰(?)があるため、違う意見同志の話し会いが成り立たないのだなと感じました。

 黙って相手を飲み込んでいくか、一方的に断定して相手を馬鹿にして人格否定して、知識の足りない劣等者なのだと言い切ることがただしいこと、相手を教育することだという認識を持つ人もいる。

 

 

 ・違う立場の意見を聞き、どうやら相手の意見の方がただしいらしいぞ・・・・という事が判明した時、間違ってた側の勢力を こらしめて 反省させて いじめるという 暴力的圧力も 日本人にあるということを理解して、

 

 では 間違っていたと認識した人の反転力 態度の変換をゆるさない態度自体も これはこれとして どうしていくといいのか、新しい基準 態度 を 決めて生きたい。

 

 「やっぱり 俺の方が 正しかったんだ!」

「これまで 俺を 責めて批判してきた お前ら!! 反省して 罰金を支払え! 損害賠償を請求する!! わたしの苦しみは そんな簡単に 解消されるものではないぞ!!」

 という 態度。

 

 この態度が 悪列にもなるし 悪臭をはなち 被害者意識を生み出すのと同時に

 

 不思議なことに

 人間らしさ 情緒 心のひだ あるようでなさそうで 不立文字 空気で理解する 野暮なことはしない・・・という (なぜか)美談として 語られていくことで 思いを晴らす思想になっている。

 

・お互いに お互いの立場は知ったうえで、解決は仕様がないというのも理解して、どこで折り合いをつけるかだけなのだが、互いへの過去の呪いをはらさずにはおれないのだ。

 これを 乗り越えていくにはどうしたらいいのだろう?

 

 我慢して飲み込んで いいよいいよと 相手をゆるしていくことができる側が 我慢して相手をなだめていくしかないのだろうか? この態度に 自虐 被害者意識がある。

 

 これを乗り越え ていったのが 禅的な人達なのだろう。


・いろいろなことを知って、自分なりの考えを作っていくと、世間や社会の常識と違うものがでてきてしまう。

他と違う思想考えを持ったとき、それを ゆっくりと 身近な人だけに 説明していこう。

 違う意見があっても それはそれとして 聞いて納得できないなら 説得して論破しないで、あほになって無視して 聞いたけど聞いてないフリして 自分の思う通りにしていこう。 もしかしたら これはこれで 新たな問題と混乱を生み出してるのかもしれんけど、 これが 今の私。