三門だんごを求めて!(奉還町4丁目) | セラピスト・ラプソディー♪ ~真の健康をめざして~
2018年03月19日(月)

三門だんごを求めて!(奉還町4丁目)

テーマ:岡山のよもやま話
今年は地元の神社仏閣巡りを始めているのですが、詳細はおいおいご紹介したいと思っています!

ここの所はウォーキング代わりに岡山市内を徒歩でぶらぶら回っています。
主に神社を巡りながらなのですが、旧跡や旧道巡りの「街ブラ」となっています。

時系列は前後してしまいますが、直近では岡山市中心部の旧山陽道を歩きましたのでご紹介します。

旧山陽道のマップ

さて、江戸時代の山陽道は総社方面から吉備津、一宮、万成(まんなり)、三門(みかど)を経由し、現在の奉還町商店街を抜けて岡山城方面へ向かいます。

ここが奉還町商店街(4丁目)の入口で大通りは国道180号線です。写真は西向きで撮影。

その後、現在の柳川交差点にあった外堀・山崎町門から城郭内へ入り、表町商店街を通り、旭川を京橋で越え城下を離れ東上することになります。

この経路は次回紹介することとして、旧山陽道について調べていると、しばしば「三門だんご」という名が出てきます。

明治時代に吉備団子が岡山名物だと広まる前の江戸時代は、三門だんごが名物だったとされます。

地元出身の小説家・随筆家である「内田百聞」の随筆「御馳走帖」に「三門ノよもぎ団子」として。
同じく地元出身の児童文学作家「坪田譲治」の随筆でも「お墓参りの帰りには寄り道をして三門の街道筋でヨモギ団子を買った」と紹介されています。

「小さめのヨモギ団子に小豆あんがどっさりついて、それが喜ばれていた」と。

ところが、江戸時代後期の文人・狂歌師「大田南畝・蜀山人」(おおたなんぽ・しょくさんじん)は、三門を訪れたおり「菊の紋をつけたような焼き餅...」としています。

どうやら江戸時代に参勤交代の大名行列などの休息時に足軽や人足たちに振る舞った「焼き餅」が名物となり、明治期になると甘いもの志向に応えて「あんころ餅」もバリエーションとして増え、いつしか「ヨモギ団子」として残ったという流れのように推測しています。

明治期には9軒あった三門だんごを商うお店もだんだんと姿を消してしまったらしいのです。

現在は地元の方に聞いてみても誰も知らないという状況です。

いろいろネットなどで調べているうちに、三門だんごを作っているお店が一軒だけあると分かりましたので訪ねてみました!

奉還町4丁目の金福菓子舖

三門だんごののぼりも出ています。

さて、今回お聞きしたところ「大正時代に弓之町で創業し、後に現在の奉還町4丁目に移転し屋号を金福菓子舖と改めた。先代店主は食べたことのある三門だんごが消えてしまうのを惜しみ、作り方を土地の古老に習い再現したのが金福の三門だんごです」との事。



中の団子は風味よく、舌先にヨモギの程よい苦味。
それが甘さのつよい小豆のこしあんと良く合います!

小ぶりでかわいい!

やわらかいのでキレイに切れませんでした。

団子もあんも柔らかく、指先でやさしく形を整えて指型が残っています。
素朴な銘菓だと思いますね♪



東向きの写真で、先が奉還町3丁目、2丁目、1丁目と続き岡山城方面になります。

老舗の和菓子屋さんですが、古来の和菓子から現代風まで取り揃えてありました。

さてさて、三門だんごは日持ちはしないので流通し難いんでしょうが、もっと見直されるべきものだと思います!ニコニコ

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