旅立ちのとき(アシスタントの独立) | セラピスト・ラプソディー♪ ~真の健康をめざして~
2007年02月28日(水)

旅立ちのとき(アシスタントの独立)

テーマ:岡山のよもやま話

頼りになる相棒(アシスタント)が4月から独立します。祝日

現在も18:00以降に自宅で開業し施術しているのですが、当院勤務は3月24日(土)までとなることになりました。

1年位前から決まっていた予定なんですが、あっという間に月日は流れて来ました。

「うれしくもあり、悲しくもあり・・・」

当院では3年間アシスタントを務めてもらっていますが、彼はもう立派なセラピストです!!

現在ホームページを準備してるんだと思いますが、それまでは『イタノ クリニカル』 をご参照ください。

(当院では3月より新人アシスタントが勤務しますので宜しくお願い致します)

 

自宅(施術院)は岡山市足守というところです。

現在でもお近くの方にはご紹介していますが、今後とも宜しくお願い致します。


さて、足守(あしもり)は、豊臣秀吉の妻(オネ又はネネ)の兄が、秀吉の初期の名『木下』を名乗り、江戸時代も知行した土地です。

『足守藩主木下家は、平氏の出身でもとは杉原と称していました。杉原家定は織田信長の家臣でしたが、妹の「ねね」は、木下籐吉郎(後の羽柴秀吉・豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉の天下人に伴って「北の政所」となりました。このため、ねねの実家が秀吉一族として木下姓を名乗ることを許され、さらに豊臣の称号も与えられました。
 関が原合戦に際して、2万5千石を領有して姫路城主であった木下家定は、北の政所を守護して中立を採り、合戦の後の慶長6年(1601)3月27日に、同じ石高で備中国足守に所領替となりました。ここに足守藩主木下家が始まり、一時中断があったものの、家定の子孫が明治維新まで13代にわたって藩主として、足守陣屋町の整備に尽力しました。』

と紹介されています。


木下家14代目は、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(しがなおや)などの白樺派文芸・芸術運動に参加した、詩人木下利玄(りげん)子爵(ししゃく)です。

幕末に大阪で蘭学の私塾『適塾』を開き、明治維新に貢献した大村益次郎(長州出身)などを育てた『緒方洪庵』も足守出身です。

木下家の庭園は小堀遠州流の池泉回遊式庭園で、江戸時代前期の作庭と推定されており、現在も近水園(おみずえん)として公開されています。

岡山ではホタルの名所としても有名です。


そんな、歴史ある土地で『イタノ クリニカル』は地域社会に貢献して行くのでしょう!ニコニコ

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