3月に全線開通した常磐道を原発近くの
浪江で降りて海岸沿い(浜通り)6号線を
浪江-広野と南下する。
放射線量は浪江で4.7nSv/h
※俺が住んでる地域では通常0.2~0.4くらいだった…
高速道路PAの線量計が止められていたのが
今となっては少し気になる
以前ココに来たのは3年前の10月
原発から20km圏内の立ち入りが
許されたばかりだった
pm 9:11
常磐道を降りると国道6号線に出るまでは
街灯の灯りも無く真っ暗
警察がとても多く、すれ違う車の
8~9割がパトカーである。
国道6号線からは細かく海岸沿いに出る道があるが
そのほとんどが堅牢な門で塞がれ
警察官が見張りに立ち封鎖されていた。
海岸に面した街に入ると
津波に因って未だに破壊されたままとなっている
無人の街は今にも崩れそうな状態
もちろん街灯も無く車のヘッドライトに
照らされて浮かぶ普通じゃない景色だけが目に入る。
道路は車が通れるくらいの整備はされているものの
あちこちひび割れや段差が有り極めて不安
どう言うワケかiPhoneのや車のナビも
全く通常の動作をしなかった。
住宅街には除染中の看板や”目”が描かれた看板が
多く見られ「誰かが見てる!」と言うメッセージが
空き巣を警戒しているのであろう。
生垣が生い茂りジャングルの様になっている
道端の空き地には黒いビニールに巻かれた
放射線廃棄物?が山積みとなっていた。
福島第一原発が目視出来る場所への道のりは
4年以上が経った今も警戒区域から
解除されることは無く
今も色濃くショッキングな光景が広がり
震災直後に感じた不安や緊張感
色あせることの無い恐怖を感じる。
この3連休を利用して
東北6県を巡る旅をしていたのだが…
旅の最後の目的地として福島第一原発を選んだのは
この土地に暮らしていた人達が感じている
痛み、不安、悲しみ、恐怖、苛立ちと共に
日常生活への尊さを実際に行って観る事で
感じたかった。
楢葉町、海岸沿いの天神岬
妻を車に残し、俺は暗闇の中iPhoneのライトを
頼りに波の音がする海を目指した。
歩くこと10分
ここ天神岬から10kmほどのところに
おぼろげに光る福島第一原発を確認できる。
不気味に光る原発に向けてシャッターを切る
悲惨な街並…
封鎖された道…
破壊された建物…
今回、観てきたモノ一切の写真を撮らなかったのは
ここにたどり着く決心が鈍らない為である。
入念にレンズを磨き原発を写真に収め
30分ほど掛かけ車に戻る。
車では置き去りにされた妻が
よっぽど不安だったのだろう
ものすごく怒っていた。
凄く良い旅だったのに…
凄く楽しかったのに…
なんで!!
なんで最後にこんなところで
こんな気持ちに………
妻が感じたこの思いこそが
ココに住んでいた人達の思いではないだろうか?
突然、楽しかった日常を奪われ
当たり前の生活を奪われ
不安と恐怖の中に取り残されたのだ
俺にとって大切な人達が多く暮らす東北… 否。
日本で何か起こってしまったら
どう処理したら良いのかも分からない様な
エネルギーを再び使おうとしている事が
信じられない
色々な意見があるけど…
次の世代が安心して過ごせる未来が手に入るなら
ちょっとだけ勇気を出して不便を受け入れる
べきではないだろうか?
ココに自分の子供住ませられる?
大切な人を置いておける?
俺は
絶対に原発反対。
20km圏内ではコンビニも再開している
店長は女性だった。
毎日ここで作業する作業員の方々と
その方々を支えるコンビニや食べ物屋さんで
働く方々に心からの感謝と敬意を込めて………

