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今回はこういうお題でいきます。ただこれも難しいんですよね。
日本の場合は特に。どうしてかというと、日本では長く
物々交換が行われ、貨幣経済が発達しなかったからです。
お隣の中国は違っていて、商(殷)末から周代にかけて、
すでにタカラガイなどが貨幣として使われていました。

今から3000年以上も前のことです。春秋戦国時代には
銅銭が流通し、「貨幣論」のような内容の書物がたくさん書かれます。
秦の始皇帝は度量衡を統一し、銅銭の重さの基準を決めるなど、
貨幣経済がたいへん進んでいたんです。

これに対し、日本で国産の貨幣ができるのは7世紀ころ、流通が
庶民に広まるのは、平安時代末期から中世始めにかけて、
宋銭が大量に流入するのを待たなくてはなりませんでした。
それまでは物々交換だったわけですが、米、布、絹などの
物品貨幣はあったはずです。

古代中国の貨幣
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ただ、金属貨と違って物品貨幣はなかなか残りません。長い年月の
間に腐ってしまうので、どこにどのように冨が集積していたかなんかが
よくわからないんです。また、中国と違って文字が使われていなかった
ことも、古代の交易経済の推論が難しい原因になっています。
どのくらいのレートで物と物が交換されたのかもはっきりしません。

考古学でも、土器や鉄器などは、どの地域からどの地域へ流れて
いったかがわかりますが、それ以外の「物」については難しいんです。
考古学は出土物からしか歴史を語れないので、これは
いたしかたないところなんですが、自分は、考古学者に経済学的な
視点が不足していることも大きいと考えています。

物々交換のイメージ
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以前は、縄文時代は狩猟採集が中心で家族単位の生活を営み、
弥生時代になって稲作が始まり、集団生活をおくるようになって
身分の差、貧富の差ができてきたと考えられてましたが、
青森県の三内丸山遺跡などの状況がわかるにつれ、
そうとばかりも言えなくなってきています。

『三国志』魏志倭人伝は、日本の3世紀ころを描いているもので、
当時の倭国には、大きな身分差があったことがうかがえます。
「大人、下戸、奴隷」の身分があったとされ、一般人は大人に会うと、
草の中にひざまずいて両手を地につけたと出てきます。

三内丸山遺跡
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さて、この手のことはいくらでも書けるんですが、
いつまでもオカルトにならないので、少し話を変えます。
身分が高い人物のところには、当然ながら冨が集積します。
そうすると、そこにオカルトが生まれるんですね。
これは特ヨーロッパで顕著でした。

どういうことかというと、11世紀から聖地奪還をめざした十字軍遠征が
始まり、ヨーロッパ人はイスラムの地で、失われた古代ギリシア・ローマ
時代の叡智を再発見します。アリストテレスの著作などが、
しっかりした解説つきで残されていたんです。前に記事に書きましたが、
ヨーロッパで錬金術が隆盛したのも十字軍以降のことです。

最初のうちは、錬金術師も卑金属から金ができると考えてたんでしょうが、
だんだんにそうではないことがわかってきて、錬金術は
詐欺の一手段になります。14世紀、イギリスの詩人チョーサーが
書いた『カンタベリー物語』には、錬金術師のイカサマの手口が、
すでにくわしく解説されています。

ヨーロッパの魔術書
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また、この時代に書かれた膨大な数の錬金術書、魔術書が残っていますが、
これらの多くは、アバンチュリエ(山師、詐欺師)的な人物が、
王侯貴族に取り入って冨と名誉を得るための手段として捏造したものです。
錬金術、占星術、医術、白魔術などは、身分の低いものが貴族社会に
とっかかりをつけるための手段として使われたケースが多いんですね。

19世紀に大隆盛したヨーロッパの心霊主義の時代の霊媒師たちも、
多くは身分の低い者でした。神智学の提唱者であるブラヴァツキー婦人も、
出自のよくわからない人物です。身分社会の強固なヨーロッパでは、
その時代時代の流行りものを利用して上流社会を騙すというのが
一つの方法論になっていて、たくさんのオカルトがそこで生まれました。

さて、また別の話をします。日本ではヨーロッパほど身分制は強固では
ありませんでした。貴族と庶民の間に、収税などの実務を担う武士階級が     
あったからですね。江戸時代以前は武士と農民の境はかなり
あいまいであり、木下藤吉郎が豊臣秀吉になったような事例もあります。

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日本の中世、近世の農村というと、貧しい印象があるかと思いますが、
実際にはそれほどでもなく、各村には長者と呼ばれる豪農もいました。
そこで出てくるのが、「富貴(ふうき)譚、長者伝説」などと民俗学で
呼ばれるものです。まあ、どうしてその人物が村の中で冨を蓄える
ことができたかという、理由説明みたいなもんですね。

よくあるのが、村に来た旅人を誰も泊めなかったのに、その長者の
先祖が世話をした。じつはその旅人は◯◯仏が姿を変えたもので・・・
これが典型的なパターンです。それ以外にも、山の中の
迷家(まよいが)に入り込んで、米の出る器を持ち帰ったとか、
川に流れてきた隠れ里の箸を拾ったからどうとか。

鳥山石燕 妖怪「金魂」
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上にご紹介する妖怪「金魂 かねだま」も長者伝説にかかわりの
あるもので、金の気を持った霧、あるいは怪火のようなものです。
これが訪れた家は、たちまち金銀財宝に恵まれて富み栄えると
言われます。石燕の詞書には『論語』が引用されており、
中国由来の妖怪なのかもしれません。

さてさて、自分が冨について、最もオカルトだと思うのは、
カール・マルクスがあれほど精緻に考えた共産主義が、どこの国でも
実地に成功しないことです。やはり人本来の間性とは合わないもの
なのかもしれませんね。では、今回はこのへんで。

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