おひつ神
えー20年ちかく前のことですね。繊維製品の問屋に勤めてるんですが、
その社員旅行での話です。その頃はずっと不景気が続いてて、問屋の経営も

芳しくなかったんですが、そういうときこそ派手にやろうって話になり、
温泉ホテルに行ったんです。風呂も食事もそこそこ評判になってました。
名前を聞けばどこだかおわかりになるんじゃないかと思います。

1泊2日でしたが、前日の宴会は無礼講のどんちゃんさ騒ぎとなり、

それが終わると麻雀。だから翌日は、ほとんど寝ない状態で朝食に出たんですよ。

でもね、だからといって幻覚を見たわけじゃありません。
私だけでなく、他の社員も、ホテルの従業員も見てるんですよ。

朝食の会場は、1階のガラス戸ごしに庭が見える中座敷で、そこで、われわれの

団体だけでとったんです。みな、前夜からの疲れで気だるそうな顔でした。


よくあるホテルの朝飯でしたが、それを食べていると、何か庭の植え込みの

後ろに動くものがいたんです。山地ですから、野生動物かと思って見ていると、

それが陰から出てきまして、子どもだったんですよ。絣の着物って言うんですか、

紺色のボロボロのを着た坊主頭の。でね、バランスが狂ってるんですよ。

体は小学校3、4年生くらいで痩せてるのに、異様に頭だけが大きい。
始めはね、ホテルの寮とかに住んでる子なのかなと思ったんですが、
子どもは近づいてきて、ガラス戸に顔をくっつけてこっちを見たんです。

それが、目と目がすんごく離れてたんです。ヒラメ顔という形容じゃ

足りないくらいに。しかも瞳が両端に寄って、左右別々の方向を見てました。

いや・・・気の毒な子どもというか、

一目、人間じゃないんじゃないかと思いましたね。

子どもはガラスに顔を押しつけてるため、平たい顔がますます平たくなり、
そのままじわじわとガラス戸を抜けて、座敷の中に滲み出してきたんです。
「あ、あ、あ」私が指さしたために、座の みなもそれに気がつきました。

箸を持つ手が止まって、呆然と見ておりました。立ち上がったのは、

十数名中2人だけです。本当に驚いたときって、動けないもんなんですね。

数秒ほどで、座敷の中に立ってました。私が一番近くにいましたが、
その子からぷーんとにおいがしたのを覚えてます。いや、嫌なにおいじゃなく、
あれは餅米のにおいだったと思いますよ。子どもはすたすたと、

コの字型にお膳を並べた中央に歩いてきて、上を向いて口を開けたんですよ。

それがね、頭がでかいもんだから、口の大きさも半端じゃなく、

そうですね、ドンブリくらいの大きさがありました。


そこへちょうど、ホテルの仲居さんが入って来て子どもを目に留め、
「あっ、おひつ神様」と叫んで走り出ていったんです。それを機にわれわれの

ほとんども立ちあがり、襖のほうに寄って遠巻きに見ていました。
子どものほうは突っ立ったままで、口の端からよだれが畳に落ちていました。
やがて、さっきの仲居さんが男性3人を連れて戻ってきましたが、
そのうちの2人がでかい おひつを抱えてたんです。その2人は怖れ気もなく

子どもに近寄り、おひつの蓋を開けました。そしたら、仲居さんも近づいて、

大きなしゃもじで開けた口の中に飯を詰め込んでいったんです。子どもは

口を動かす様子もなかったんですが、どんどん飯が消えていき、おひつは空。
男性の一人が「お客さん方すみません、この場のご飯もお借りします」そう言って、
お膳の脇の飯びつをとり、さらにまた子どもの口に飯を詰め込む・・・

巨大な おひつと、われわれの飯びつ3つを口に入れたところで、
子どもはやっと口を閉じ、「アーハ、満腹」こう一言だけ残して消えたんですよ。
その後ね、ホテルの支配人が来て説明を受けました。
なんでもその地域に伝わる「おひつ神」という神様だそうで、
出たのは30年ぶりということでした。そのホテルの前身は古くからの

温泉旅館で、主人が老齢になったためにホテルに権利を売って、ゆうゆう

楽隠居をした。その主人から、おひつ神様が出たときの対処のしかたを

こと細かく教わってたんだそうです。「条件だったので、毎年従業員にも

伝えていたんだが、まさか本当のこととは」そう言ってましたよ。

悪いものではないんだそうです。かわいそうな子どもの神様で、
江戸時代の飢饉で死んだ魂の集まりではないかと言われているそうです。

とにかくお腹が空くと出てくるので、あるだけの白米を食わせてやる。

おかずはいらないんだそうです。そうすると後でよいことが起こる。確かにね、

うちの問屋は経営を立て直しましたし、実はホテルのほうもそうだったみたいです。

私は専務になりましてね、毎年そのホテルに社員旅行に行ってます。うーん、

おひつ神様はあれ以来出てないみたいですが、もう20年になりますからねえ。
でもね、さっき言ったように、会社もホテルも経営は悪くないんで、
今出てこられるのも、なんだかもったいないような気がしなくもないんですよ。

式神

3日前のことです。少し酔っぱらって家に戻ったんです。

家は郊外にある高層団地ですよ。うちは4階ですが、

エレベーターを使わないで非常階段を上ってたんです。外についてるコンクリ製の

やつ。・・・ごらんのとおりメタボ気味ですからね。しかもその日は

かなり脂っこいものを食べてたんで、少しでもカロリー消費しようと。
したら、3階までのきたとき、空に何か白いものが一列になって飛んでたんです。
そうですね、4つか5つくらい。それは私といっしょに階段を上るくらいの速さで、

2mほど離れたところをついてきた。いや、鳥とか蛾とかじゃないです。

色は真っ白だし、一つが15cmくらいの棒の形でした。

でね、ここってオカルトとか好きな人の集まりですよね。
実は私も好きなんです。毎月書店で「ムー」を立ち読みしてるんです。
恥ずかしいから、家族には内緒にしてますけど。
 

「ロッズ、フライングロッズ」って知ってますか?

竿のことを英語で「ロッド」って言いますよね。複数形が「ロッズ」です。

飛んでるものをよく見たら、そのロッズにすごくよく似てたんです。

ええ、そうです。日本だと「スカイフィッシュ」って言われてる。
あれって超高速で飛ぶので、普段は目に見えないはずなんですが、
そのときはゆっくり飛んでましたから見えたんでしょう。
短い白い棒形で、まわりにヒラヒラがついて動いてました。「あーすげえ、

超常体験だ」って思いましたよ。でね、俺が4階の廊下に出ると、

そいつらも隊列を保ったまま、すっと曲がってきたんです。

渡り廊下の部分も外に面してますから。手の届く近さにきたんで、

思い切って先頭のやつをカバンでたたき落としてみたんですよ。

そしたらフラッと揺れて下に落ちたんです。

それがコンクリの床に触れると、棒形だったのが平べったく変わりました。
あれに見えましたね。陰陽師が式神を飛ばすときに使う人型の依代、形代。

ちょっと怖かったですけど、拾い上げてみようと思いました。そしたらですね、

残りのやつらが私の頭上に集まって、高速でくるくる回り出したんです。

「ブブブブブ」と熊蜂の羽音のようなうなりが聞こえてきたので、
出しかけた手を引っ込めました。すると、床に落ちてたやつがふーっと

舞い上がって、また棒状の形に戻ったんです。で、また一列になって、
私を追い越して団地の廊下を低空飛行し、ある部屋の前まで来ると

急角度で曲がって、ドアの下の隙間に吸い込まれていったんですよ。
そりゃ迷いましたよ。そこの住人に知らせるべきかどうか。
結局、信じてもらえない可能性を考えてやめました・・・が、
そこのご主人、昨日、団地の高い階から飛び降り自殺しちゃったんです。

『形代』


『スカイフィッシュ(Flying Rods)』